わが街流山

「わが街流山」No.18 天形星神社と岩本石見守

天形星神社と岩本石見守

〖天形星神社由来〗
流山市長崎2丁目に天形星(てんぎょうせい)神社が鎮座しています。
創建は寛文2年(1662年)、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。天形星神社と名着けられた神社は極めて珍しく、現在全国に数社しか存在しておりません。天形星とは道教では木星を意味し、その化身である天形大魔王は疫病や邪鬼を退治する神として崇められていました。よって天形星神社は木星を主神とする神社となりました。更に気迫のこもった恐ろしい魔神に牛頭天王(ごずてんのう)がいます。牛頭天王はインドの神で後に祇園精舎の守神となり、京都の八坂神社の祭神となりましたが、明治期に入り天形大魔王と牛頭天王が合体して素戔嗚尊が主祭神となりました。流山の天形星神社は以上のような経緯を経て名着けられたと云われており、現在野々下・長崎の氏神様となっています。
又、境内には
多くの貴重な石仏が並んでいます。


天形星神社本殿(長崎2丁目)


牛頭天王と素戔嗚尊が一体となった祇園大明神

〖岩本石見守〗
天形星神社の境内に岩本石見守正倫(いわもといわみのかみまさとも)の記念碑が置かれています。
出生時期は定かではありませんが、寛政5年(1793年)37才位の時に
房総3牧(小金・佐倉・嶺岡)の旗本総取締役支配人となり、牧の開拓や野馬の育成に尽力しました。石見守の姉は徳川11代将軍家斉の母堂「お富の方」で、家斉の信頼が篤かったといわれています。流山地域は江戸時代中期より幕府の政策で野馬の保護管理育成に携わっていました。牧と村の境に野馬土手が造られ、村や田畑に馬や野犬・猪などが侵入するのを防止しました。流山や柏・松戸・鎌ヶ谷などは小金牧に属していました。牧といっても柵で囲まれた牧場ではなく、林もあれば草むらもある状態です。この牧の環境を整備し、野馬の増殖や炭・薪などの増産に尽力しました。結果村の財政は豊かになり石見守は村人から大いに敬われたといわれております。


岩本大明神碑(文化9年)


岩本石見守顕彰碑(明治27年)

高橋 則行 4区 1969年教育卒