散策会

第11回散策会 「さくら名所100選」の清水公園

日時:平成16年4月4日(日)

コース:野田市駅(集合)⇒野田市郷土博物館⇒清水公園内旧花野井家住宅⇒清水海運不動尊⇒慈光院金乗山⇒清水公園駅

前日は5月の陽気で桜花爛漫、すばらしいお花見日和であったが、当日はうって変わって小雨交じりの肌寒い一日となり、世話人からもマフラー、手袋などの防寒の用意をし、参加予定の方でも体調を考えて無理をしないようにとのメールが届いていた程の変わりようであった。集合場所である野田市駅に集まったのも当初予定していた半数近くの10人であり、例になく少人数で小雨がポツポツ降る中を最初の目的地である野田市郷土博物館へと歩を進めることとなった。途中、桜花を見ながら郷土博物館に到着し、まずは隣接する茂木左平治翁の旧居からスタートした。

この郷土博物館は、昨年8月の散策会での最終目的地であったが、到着時間が遅くなったため入館できなかったところである。玄関から上がり、各部屋を大半回ったところで先頭の者が管理人に注意を受けていた。入館に当たり、何故、管理人に一言申し入れをしなかったかということである。丁重に謝ったところ、今度はばかに丁寧に説明をしてくれた。ここは、今からおよそ90年前、大正年間にキッコーマン醤油の始祖である茂木佐平治翁が金に糸目をつけず、一流の職人を集めて翁夫妻の2人のために建設した、敷地800坪、建物200坪の居住であり、20名位の女中が同居していたとのことである。気に入った材料を取り寄せながら建てたため、7~8年かかったとのことである。文化庁より、この建造物は国民的財産として第12-0002~0003号と指定されている、との表示があった。台所の床下を見せてくれたが、深さは1.5mから2m位もあり、この中に醤油を保存していたとのことである。庭の灯籠の1つは千葉県一の大きさであり、どのように運び入れたのかわからないような大石が一面にあり、涸池を形成していた。そういえば我々もこの家に入る前、さほどの意識もせず、その大石の上に乗り、記念撮影をしていた。撮影者の一人を除き、全員がこの上に乗り、うまくカメラに収まったところであった。その他には、箱式石棺や醤油仕込み桶の底板なども屋外に展示されていた。

近隣の家や近くのゴルフ場も含めて清水公園まで付近一帯が茂木左平治翁の土地であった由である。この茂木左平治翁の旧居の隣には昭和34年4月に開館した郷土資料館があり、県内で最初の本格的な博物館である。主な展示収蔵品は、醤油関係資料、郷土に関する歴史資料や民俗資料、市内遺跡から出土した考古学資料などである。なかでも箱式石棺(郷土資料館)醤油関係資料の豊富さは他に例がなく、全国的にもユニークな博物館として知られているところである。

郷土資料館をあとにして清水公園に入ると満開をわずかに過ぎたばかりの桜の花びらがひらひらと雪のように舞い、満開にも劣らぬ見応えのある景色である。あいにくの天候で、わたあめ、お面、焼きそばなどの屋台もほとんど店じまいしおり、この季節にしては人も少なく、ゆっくり歩けたのも我々にとっては幸いといえたようだ。

旧花野井家住宅は、わが流山市前ケ崎の花野井四郎氏の茅葺きの住宅を昭和46年に野田市が寄贈を受けて清水公園内に移築したものである。旧花野井家は、幕府直轄の牧であった小牧牧で、牧を管理する牧士を務めてきた家柄である。建物の中心部に広間をとり、その奥に細長い部屋を配置するなど、東関東地方古民家の一典型となっている。広間の前面を格子窓として全体的に閉鎖性が強く、建築年代は17世紀を下らないものと推定されて竈(旧花野井家)いるようだ。軸組、主要部の保存もよく、当地方を代表する建築物として、国の重要文化財に指定されている。

更に公園内を散策し、金乗院仁王門の下を通り、清水公園不動尊を横目で見ながら、公園中央部の桜を見渡せる広場につくころには雨も本降りとなってきた。そのため、ここで花をバックに記念写真を撮って本日のコースを終わらせ、最終目的地である公園内のラーメン屋に駆け込んでしまった。この清水公園は昭和27年に茂木柏衛翁が、金乗院の有する林地の一部を借りて遊園地として建設されたもので、その年の4月3日に開園され、町の人たちに開放された民営の公園ということである。終了時間が少し早かったが、恒例の打ち上げをささやかではあるが盛大に行い、全員満足した面持ちで家路についたのは5時少し前のことであった。

金乗院仁王門

毎度ながら、世話役の漆野様はじめ幹事の方のお膳立てとご配慮に感謝申し上げる次第である。特に今回は、雨模様のため、決行の可否をめぐってかなり気をもんだことと推察する。

秋田谷 勇 (1966年卒 理工学部卒)