ほんの少し歩こうを実施したのは 11月14日(日)、朝起きると小雨、これは又延期か?と一瞬不安が生じた朝だった。中止の場合は8時=雨の場合で、そのときは小沼世話人から電話が来る。起きて8時に近づくと雨が止んだし、電話も無し。よし行くぞう! 雨の降らないうちに行こうと柏に向かう。
集合時刻は 午前10時、柏駅中央改札口内 当日集まったメンバーは青山、今井、漆野、奥野、小沼、亀田、川口、工藤功、工藤初枝、鈴木、中川、西川、森の13名。 連絡も無い参加予定者2名が来るといけないので 南柏からの電車1台待ち、10時10分発 上野行き快速電車に乗車。電車に無事乗れて、今日のコース予定を念のため確認。
柏よりJRにて新橋へ、新橋よりゆりかもめにて芝浦埠頭へ、そして歩く。芝浦埠頭~レイッボーブリッジ~お台場海浜公園(自由の女神などを見学)、船の科学館へ、徒歩1時間半を予定。ここで館内レストランにて昼食、昼食後 船の科学館を自由見学。船の科学館より水上バスにてしながわ水族館(京急大森海岸)へ、京浜急行大森海岸より品川経由JRにて柏へ、柏駅にて解散。
常磐線日暮里駅で山手線に乗換え、新橋へ。新橋でゆりかもめに乗って、芝浦埠頭駅下車。
芝浦埠頭は 昔、東京ラブストリーに登場した。それも 第1回、後半 ポケベルで呼び出された完治(織田裕二)が芝浦倉庫にテニスウエアのサンプルを取りに行く。このシーンは背後が工事現場でしたが、実は「レインボーブリッジ」の建設現場セットでした。ハートスポーツの行き先表示のホワイトボードに「芝浦倉庫」と書いてあるカットがあったのです。
その建設中のレインボーブリッジも既に完成し、今は無料になりました。歩道は海側と川側の2つがありました。海側のサウスルートを渡ることにしました。羽田発の飛行機を正面に眺め、下に水上バス、第六台場、第三台場を見て、海浜公園まで歩いて30分。今日のメインでした。これで散策記も終わりかと歩き足りない感があります。海浜公園でユリカモメ、鴨、海鵜らしき鳥を見ながら(なにしろ数えるのが無理な位 居ました)、人工海浜を歩きました。その長いこと。なかなか船の科学館が見えません。そのぐらいゆったりと造られています。この海浜公園は 東京湾に面して広がるお台場の象徴的な公園で、すぐ目の前の海に架かるレインボーブリッジと天気なら見える東京タワーを眺めながら二人で歩くまさにデートのためにある公園。どんよりとした曇り空の中で、若い二人で居れば、昼夜問わずムードは最高で特に夜景は必見という海浜公園。
今日は残念ながらグループの人たちと何組かの年取った夫婦と子供をつれた家族が歩いているだけ。遊泳は禁止!なれどウインドサーフィンは歓迎。静かな入り江を囲んでいる公園でした。
AQUA CITYの中を歩かずに、店内で食べている人たちを覗きながら、外側の道を 自由の女神像をめざして歩く歩く。この間 夜景に定評のスポットが続く。
『自由の女神像』は、『日本におけるフランス年』を記念し、平成10年の4月から約1年間フランスからやってきたもの。パリの『自由の女神像』から型をとったレプリカですが、好評につき常設として復活。
さらに、バーベキュウの美味しそうな香りを嗅ぎ、船の科学館を只管めざす。途中の目印は 東京港トンネルの排気塔の三角の建物。有りましたありました。そして船の科学館、否 館内4Fのレストラン「海王」へ。
ここのお勧めメニュは 「ふかひれラーメン 2,100円」と「肉まんとワンタン セット 1,000円」 前者は女性陣、後者は世話人を中心に3名、他の人は 五目やきそば・五目そば等々。食べるのに夢中でしたが、船の科学館の前で 西川さん 在籍中の社外の友人とのゴルフで伊東へ 一人時間差解散。 レストランの混雑もなく、眺めも良く、加えて味も満足満足。舌も活発に、「フルコース」を今日は雨が降らずに、「フラナイコース」。「航海(後悔)先にたたず」とか駄洒落が続く。大満足な食事をとり、気も大きくなり、やっと館内へ。誰です入場券を購入せずに、見学している人。ここは 海と船をテーマとする博物館で、入場券が必要です。大型客船をモチーフにした本館では、船の仕組みなどを楽しく学べ、(地上70mをほこる展望塔からは東京ベイが見渡せます。しかし、誰も上らなかったようです)。併設の初代南極観測船「宗谷」&青函連絡船「羊蹄丸」の見学には入場券の控えの提示が必要でした。 本館3Fのラジコン船 100円の投資で船と船を衝突させ、楽しみました。船の科学館建設の目的の碑を読みますと、財団法人日本海事科学振興財団 理事長 笹川良一:昭和49年7月に「とくに未来をになう青少年に、海事産業についての興味を呼びおこさせ、その科学知識を深め、未来に対する夢を与えようとするものである。」とある。
次に 14時30分 青海発 水上バスに乗船。しながわ水族館までである。船内に MAY PEACE PREVAIL ON EARTHとある。聞いたことのある語句である。 乗船時反対側に ランチクルージングか MARCO POLO 号が着いている。到着も出発も水上バスと一緒。船が出航、インドネシアのミナス原油を燃料とした東京電力の煙突塔、天王洲アイルを眺め、大井北埠頭橋を潜り、月島倉庫・都立工業高等専門学校を右横に見ながら、東京モノレールと平行して水上バスは走る走る。京浜運河を進み、大井競馬場を右に見て、しながわ水族館前に到着 所要時間35分、十分景色を楽しみ下船。そして京浜急行大森海岸駅まで歩く。この駅を通過する電車の多さ、品川までの駅も通過する電車が多い。鮫洲で 免許書センターの話がで、新馬場(しんばんば)そして北品川駅、ここで どう見ても 西品川とか南品川はわかるが、品川の前に北品川ではと話が続いているうちに品川駅へ。
北品川駅の前名があるのか等話がでていたので、この駅の由来を以下ふれる。(北品川駅は明治37年5月8日、初代品川駅として荏原郡品川町北端の品川鉄橋際に開業し、八ッ山停留場と通称され京浜電気鉄道のターミナルとして大正末年まで機能した。この開業に備えてボギー車が用意されたが、発電所の出力増強用に手配した機器類が、日露戦争の影響を受けて納期に間に合わなかったため、当面は在来の四輪車両を使用することになり、わが国初のボギー車の就役は同年9月となった。大正時代の後半、国道(東海道)改修の計画がもちあがり、品川停留場付近の軌道敷が収用されることになった。これにより大正13年4月、品川停留場は横浜寄りに移設されることになり、明治以来のターミナル建造物は撤去され、翌3月の高輪までの延長に伴い駅名を北品川に改称した。以降この延長線の一部は本線最後の道路併用軌道として昭和31年まで残ることになった。昭和57年、構内通路の除去、こ線橋を新設するとともにホーム長を上下共80mから115mに延長、六両編成列車の停車を可能にする等の改良工事を実施し、現在の姿になっている。駅のある住所が品川区北品川というところにある。)品川でJRに乗換え、15時42分 山手線品川発で、上野経由 柏へ ここで6名で各々挨拶して解散(上野で2組に分かれてしまい、前の組6人で、次回両国での再会を期して解散)。今日は 家に帰って 食事あり、びっくりするぞ!
鈴木 一嘉(1965年 商学部卒 )