千葉県に於ける「近代教育発祥の地 流山」
流山市流山二丁目に常与寺が在ります。千葉県で最も早く教員養成所である師範学校が設立された場所です。又、同時に小学校も出来ました。
明治5(1872)年8月3日に明治新政府による学制発布が発令されました。その趣旨は、全ての国民は出自や貧富の差・性別などに差別されず、平等に教育を受ける権利を有し実行されなければならない、という政令です。教育の機会均等を謳ったものです。即ち、従来の寺子屋・手習い塾などを廃止し、新しい学校を作るという事です。この政令を受け、一早く学校を設立したのが当時の印旛県県令(現在の知事)の河瀬秀治です。まず教員を養成するための学校を常与寺内に置きました。講師は印旛県の職員が受けもちました。
設立資金は県職員のうち上級職は給料の10%、一般職は5%を捻出して創設された為、「印旛官員共立学舎」と呼ばれ千葉師範学校の前身となります。学生たちは伝習生として60日間の講習を経て、明治5年9月23日、正式に共立学舎が開校しました。更に、伝習生の付属学校として現在の流山小学校の前身となる「流山学校」が創立されました。
流山学校の第一回の卒業生は男子53名女子41名でした。その後、印旛官員共立学舎は明治6(1873)年に印旛県と木更津県の合併による千葉県の誕生に伴い、千葉町に移転され千葉学校となり、翌明治7(1874)年に千葉師範学校と名称を変え、昭和24(1949)年に千葉大学教育学部として誕生致しました。即ち現在の千葉大学の前身は流山常与寺からスタートしたという事になります。
常与寺
創建嘉歴元年(1326年)山号梅本山 ご本尊釈迦如来 本堂正面の屋根構えの唐破風(からはふ)が特長的
横書きに「千葉師範学校発祥之地」縦書きに「印旛官員共立学舎跡」の石碑
昭和57(1982)年の序幕式に当時の千葉大学教育学部長が訪れています。
常与寺内での授業風景
流山学校の生徒たちに教える先生(伝習生)
※常与寺の詳細の縁起等は流山市のHPで閲覧できます。
高橋 則行 4区 1969年教育卒