散策会

第20回 水元公園散策記

当日の朝まで心配していた天候は好転し、午後からは久しぶりの真夏日となった。参加予定者15名が2時前に全員集合、金町駅南口から「戸ケ崎操作場」行き京成バスに乗り込んだ。10分ほどで最初の訪問先「しばられ地蔵前」のバス停に到着、目の前が「南蔵院」である。この界隈では、江戸時代からの代表的な由緒あるスポットとして境内の整備は行き届いていた。「清め」の「手水」も金具を足で踏むと蛇口から水が出る、節水への配慮であろうが、びっくりしたのは筆者だけではなかったと思う。

大岡越前守る忠助の『な裁き』に由来する『縛られ地蔵』は境内の奥に幾重にも縄を巻かれて、今も立っておられた。盗難除け、厄除けさらには縁結びまであらゆる願い事を聞いてくださる地蔵尊として、お願いするときは縛り、願いが叶えば縄解きをする風習が続いている。願をかけたメンバーが何名かいたが、何のお願いをしたかはわからない。「ご本人と地蔵尊のみぞ知る」である。

「しばられ地蔵」から程なく「桜土手」に到着すると待望の「水元小合溜」がゆったりと広がり、土手にそって“菖蒲まつり”のちょうちんが飾られ、華やいだ雰囲気を醸し出している。土手を右手に折れると葛飾区指定有形文化財の「松浦の鐘」が鎮座していた。長崎奉行や勘定奉行に任ぜられた旧小合村の領主松浦河内守信正が小合村の菩提寺「龍蔵寺」に奉納したものだそうだが、現在では唯一の区有の梵鐘となっている。昔は水害や非常時の早鐘として使われたという。

これからはいよいよ都内唯一の水郷地帯「水元公園」(都立)の散策だ。たくさんの人々が、思い思いに日曜の午後を楽しんでいる。「釣仙郷」とも言われるだけに釣を楽しむ人達、バーベキューで盛り上がっているグループや一族、ザリガニ釣やメダカすくいに興じる親子、そんな中をキャンデイ―屋さんが幟を自転車に立て、鈴を鳴らして、売っている昔懐かしい風景に出会えた。

「はな菖蒲園」の花菖蒲は1万4千株、20万本と言われる都内最大の菖蒲園であるが、時季が少々早く、絢爛豪華な姿を見られなかったのが、残念であった。「水元大橋」を渡ると人の賑わいも収まり、一気に自然との対面になる。「小合溜池」がはるかに奥深くまで広がり、青空と新緑の森林が水面を包み込んで、まさに一幅の絵である。「気宇広大になる。感動だ!」の声が上がる。

榎本さんのガイドでアシやガマの群生するエリア、ポプラ並木、メタセコイアの森、ハンノキの森などを抜けると野鳥の観察点「バードサンクチュアリー」に到着した。“アオサギ”、“シラサギ”、“コサギ”、“カワウ”等が飛び交い、まさに野鳥の楽園であった。観察舎の壁に四角の穴があいており、そこから観察するわけであるが、野鳥観察の専門家榎本さんの説明、解説はさすがであり、とても勉強になった。塙さんや奥野さんのご配慮の差し入れで糖分を補給し、リフレッシュして「水生植物園」に向かった。ここだけは幸いにも早咲きの花菖蒲が咲いており、全員記念写真に収まることが出来、何よりの恵みであった。

我々は蛇行する小合溜池の裏側とも言えるエリアに着いて、あらためて水元公園の広さを痛感した。スイレンが愛らしいピンクや白の花をつけ、モネの絵画を彷彿させる風情であった。最後に訪れた「水元グリーンプラザ」は公園内の自然をわかりやすく展示したコーナーである。美しい“カワセミ”や常磐新線の駅名となる“オオタカ”の写真が展示されていた。2階からは眼下に約10ヘクタールの広さの中央広場が望めたが、真っ青な空、新緑の森、緑の芝生、マンションや人家など工作物が一切ない,都内にいるとはとても信じられない自然だけの風景であった。

帰途は高さ20メートルに達するポプラ並木が延々1~2キロメートル、水元公園のシンボルとも言える並木通りを北海道の旅行気分で歩き、バス停に向かった。「小合溜池」に別れを告げ、釣堀になっている「内溜」を左に見ながら200メートル程歩くと「水元公園」バス停に着いた。タイミングよく京成バスに乗り込み、金町駅南口には16時20分、無事到着となった。

反省会は金町駅北口の居酒屋で13名が参加、先ず渇いたノドを潤した。炎天下を歩いただけに、生ビールの味は格別であった。今回初参加のサッカー界の重鎮、胡さんより自己紹介のあと北朝鮮戦の見通しを含めたサッカー解説や漆野さんよりオール早稲田囲碁祭で流山稲門会が初出場で“準優勝”の快挙を成し遂げたことなどの報告があり、大いに盛り上がった中でのお開きとなった。

私事で大変恐縮であるが、地元金町の出身で水元に慣れ親しんだ筆者には皆さんから「水元公園がこんなに素晴らしい所であるとは想像だにしなかった」とおっしゃっていただき、天にも上る思いであった。最後になりましたが、世話人の労をとって頂くとともに、行き届いたご案内を頂いた榎本さんはじめ、幹事の方々に厚くお礼申し上げます。

川 口  清 (1962年 法学部卒)