散策会

第41回「竹久夢二の美人画と四季の彩り展」・東大構内・旧岩崎邸

 

土屋みゆき(1973年教育卒)

 

2008年11月30日、13時35分発の千代田線で柏駅より根津駅に向けて出発。一両目の車両に乗った。さながら貸し切り電車のようであった。14時13分根津駅下車、ここで21名が全員揃い、14時20分竹久夢二美術館到着。竹久夢二美術館は1990年弥生美術館のコレクションの中から竹久夢二の作品を独立させ弥生美術館の敷地の中に設立されたものである。

独特の雰囲気を持つ夢二の美人画が多数展示されている。女性学芸員から夢二と夢二の作品についての解説があった。15時15分ごろ同美術館を出発。

東大へは弥生門から入った。広いキャンパスを歩き安田講堂の前に出た。この場で1969年に学生と機動隊とが激しく衝突したことなど想像もできないほど穏やかなたたずまいの安田講堂でした。ここで記念写真。

キャンパスをしばらく歩いて三四郎池に下った。三四郎池は山手台地を侵食した谷に湧出する泉である。
この池の正式名称は「育徳園心字池」池の形が心という字を形どっているからだという。もともとここは加賀藩邸の庭園の一部であったが、明治になって東京帝国大学に移管された。その後夏目漱石の小説『三四郎』にちなんで三四郎池と呼ばれるようになった。池の周囲には大きな木々が鬱蒼と茂り、長く伸びた枝があたりを暗くして
いた。池の表面には無数の落ち葉が浮かんで秋の終わりを感じさせる。漱石も学生時代この池をよく散策したのかなどと考えながら池の周りを歩いた。以前何度かこの場所に来たことがあるが三四郎池は訪れるたびごとに違った表情を見せているように感じられた。もう少し池のほとりを歩いていたいと思いながら三四郎池を後にした。東大構内の銀杏並木が夕日に映えて美しい。

16時少し前に東大を出て旧岩崎邸に向かう。ここは三菱の創始者岩崎弥太郎が旧舞鶴藩守牧野氏より、土地と建物とを購入したものであり1888年に移り住んだものだとされている。そして現在の洋館はジョサイアコンドルの設計により弥太郎の長男久爾が私邸として建設したものである。

穏やかな坂を上ると細かい装飾の施された洋館があった。イギリス17世紀のジャコビアン様式を基調として、ルネサンスの影響を受け一部イスラム様式を取り入れられているとされている。一階ホールには大きな飾り柱がありジャコビアン様式の特徴一つとされるツルを巻くような装飾が末端に施されている。そして吹き抜けの大きな階段があり二階へと続く。室内は金唐紙と呼ばれる壁紙で覆われている。当時の財閥の生活を偲ばせるに十分な大邸宅である。
時代が動くときにはおおきなビジネスチャンスがあるといわれるが、岩崎弥太郎の中にその典型を見た思いがする。
岩崎邸を出るとすっかり夕方になっていた。暮れなずむ街を歩いて忘年会の行われる清龍に向かう。

感動の多い秋の一日だった。

 

(完)