会員からの情報

ダイヤモンド富士のその後

流山稲門会のホームページご覧になりましたか、私自身年次稲門会「1972年次稲門会」のホームページを立ち上げる時全国の稲門会ホームページを色々見ましたが当会のホームページは一級品です、まだご覧になってない方はぜひご覧ください。

さてホームページの中で「我が街流山」について私が紹介させていただきましたダイヤモンド富士のその後をご報告いたします。ホームページでご紹介しましたからには自分でも見にいかなければならないと思い1月18日夕刻に富士見橋に行きましたがあいにくの曇り空であり写真のような状況でした。

当日は曇天で朝から諦めていましたが残念です、しかし改めて思ったのは橋から富士山まで遮るものもなく一直線に富士山が見える場所は流山でもなかなかありません。昔々江戸時代なら無粋な鉄塔もなく空気がもっと澄んでいて富士山がハッキリと見えたでしょう、富士見橋とはよく名付けたものです。

日は変わり20日は近所に撮影に行きました、この時期夕方に富士山が見えることはまれで太陽に照らされシルエットで富士山が見えることがほどんどです16:46頃の写真がこれです。

さらに2分後、太陽が完全に顔を隠しました、上空にかすかに見えるのは進行方向と機影から判断するに多分自衛隊の飛行機です。

もう少し太陽が右に沈むとベストアングルかと思い、翌21日も同じ場所で撮影しましたが雲に遮えぎられました、10年以上富士山を追いかけていますがいまだ満足する写真は撮れていません。(人間満足すると成長はとまってしまうといいます、今年11月にはまた富士山を追っかけているでしょう)

ここ3年、コロナ禍で流山稲門会の活動も中断していますが、会員のみなさんが一番興味あるのはコロナで外出もままならないなかで会員が個々に日常どんな生活を送り又どんな趣味で時間をすごしているのかが知りたいのではないでしょうか。秋田谷さん2022.2.8ご報告の「野鳥観察報告」や佐々木さん20210.12「演奏旅行」のような個人の活動報告ブログがもっとあっていいかと思います。時間があれば私も次回は「ゼロ戦プラモデル」作成や「焼き餃子レシピ」の報告をしたいと思っております。

2023.1.22 笠井敏晴  1972年卒(名都借在住 散策会世話役)