散策会

(第60回)戸定邸と堀之内貝塚 散策記

小春日和の11.18(日)、女性5名(中川・小西・朝倉・菅原・山本(和))、男性12名(榎本・鈴木(一)・山本(正)・森川・奥野・西田・川口・石橋・北原・野中・森・漆野)の総勢17名の会員が松戸と市川の名 所を散策しました。
柏に13時に集合、快速で松戸へ、西口バス停での怪訝な表情から散策はスタートしました。


運転手さんの必死の調整でなんとか目的地に運んでくれるバスに乗り約15分で市川市歴史博物館のある「堀の内三丁目」で下車。ここでは、平安時代から現代にいたるまでの市川の歩みと人々の生活が展示されており、一番人気があったのは、昔使った覚えのある冷蔵庫・洗濯機などでした。
次に同じ敷地にある考古博物館へ。ここでは、先土器時代から平安時代まで、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、律令時代までの遺物が展示されており、バスの時間が近づいているので、急ぎ足で見学、同じ敷地内の「堀之内貝塚」へ。


堀之内貝塚は、両国―成田間の鉄道が開通した明治37年の東京人類学会創立満20周年大遠足会の目的地に選ばれて以来、東京に最も近い、交通の便の良い大貝塚として知られ、数多くの研究者によって調査されてきました。時を経て、私たちが訪問した日は、私たち以外どなたも見当たりませんでした。

1時間に1本のバスに全員無事乗って、次の訪問先、松戸の戸定歴史館へ。戸定邸は江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の実弟、徳川昭武の邸宅です。明治維新により慶喜と16才年下の昭武は多くのものを失う一方、私人としての自由な時間を得ました。昭武は13才の時、パリ万国博覧会(1867年)に将軍の名代として派遣され、ヨーロッパ各国を訪問、その後パリで留学生活を送り、明治維新により帰国し最後の水戸藩主となりますが、29才で退任、翌年戸定邸に住み始めました。
昭武の留学時代の遺品の中にフランス語の手紙が展示されていましたが、その端正なフランス文字に昭武の性格を垣間見ることができました。暮れなずむ戸定邸庭園で記念写真を撮り、忘年会場へ。


見学疲れの足も元気に満ち溢れ、「日本海庄や」松戸東口店へ。忘年会恒例の「我が家の10大ニュース」では終わらないので、我が家の最大ニュースを一人ずつ発表、稲門会に入り散策会に参加出来て、互いに学ぶことができた・・・というのが今年入会者から創立時からの会員まで皆の感想でした。今日の笑顔を忘れずに良い年を迎え、来年も元気に散策会に参加することを誓って解散しました。

漆野達夫(1967年 法卒)