散策会

(第74回散策会) 権現堂堤散策記

東武アーバンライナーの柏駅で12時23分大宮行きに乗車。春日部駅で南栗橋行き急行に乗り換える。幸手に13時30分ころ到着。臨時バス乗り場に行く。
臨時バス乗り場で案内人から「道路が渋滞してバスがいつ来るか分からない。またバスに乗っても目的地までどのくらい時間がかかるか分からない。徒歩で30分位、タクシーでは裏道を走るので10分程度」との説明があり。一行のうち3人がタクシーで、残り7名は徒歩で権現堂まで行くことにする。
権現堂へ向かう途中の町並みは「本陣跡」の説明板と電信柱に旧日光街道の標識および町の規模に比して和菓子屋が多くみられるのが幸手宿の名残といえる。またところどころに徒歩者用の休憩所が用意されていた。

堤の桜はほぼ満開に近い状況で、樹齢60年の桜の花が堤全体を埋め尽くし、あたかもピンク色の霞がかかっているようになっていた。
堤は関東有数の花見場所と言われるだけに、多くの花見客で行き交うのも気遣うほどであった。
権現堂堤と中川の間は菜の花畑となっており、桜のピンクと菜の花の黄色が見事なコントラストを描いていた。景色は残念ながら文書に表す能力がありませんのでご容赦のほど。
堤の下は、全国から取り寄せられたと思われる桜が種類と産地を表した札が掛けられていた。またシートを敷いて花見酒とか食事をしているグループも相当数いた。

反対側では「たこやき」「やきそば」「飴細工」「バナナ・チョコ」等の昔懐かしい屋台が多く出店されており多くの客で混雑していた。
堤の途中で明治時代の画家結城某が描いた巡礼母娘の石碑と供養塔が建てられていた。碑には、今は廃川となり跡形もない権現堂川の氾濫のために人柱になったと巡礼母娘のことが解説されていた。更に最先端まで行くと明治天皇が東北巡幸の際、築堤工事の視察をしたとの石碑が建てられていた。
午後3時過ぎに往路と同じように徒歩で幸手駅まで行く。

山本正紀 (1964年 商学部卒)