散策会

(第59回散策会) 鎌倉散策記

今回の鎌倉散策は散策会として4回目、前回平成17年から5年目となる。散策は、会員の奥野靖三氏(1959年政経)に過去3回の鎌倉散策と重複しないようにコースを設定いただいた。

10月14日柏駅に参加者12名が集合、9時6分発常磐線に乗車し山手線、東海道線、横須賀線と乗り換え10時59分に北鎌倉に到着。
北鎌倉駅で線路を渡り改札を出る。昔ながらの狭い道路を徒歩約5分で東慶寺に到着。

入口に東慶寺の概要を記した案内版があり、開創当初から明治時代までは、尼寺で後醍醐天皇の皇女や豊臣秀頼の娘が住持として入寺したとも記されていました。また別名「縁切寺」としても有名で、離婚を望む女性が当尼寺で一定期間修行すれば離婚が認められたとのことです。

東慶寺の山門で拝観料を払い、秋明菊、紫苑、野葡萄の咲いている境内を散策。木々に囲まれた静寂の中を書院・宝蔵を横目に奥の緩やかな坂をのぼると墓地があった。墓地には案内版によれば鈴木大拙や西田幾太郎、和辻哲郎等々の文化人の墓があるとのこと。墓石は一般和型でなくほとんどが鎌倉時代の一般形式である五輪塔形式で時代がそのまま引き継がれているとの感があった。

東慶寺を出て10分ほど歩くと長寿寺につく。

長寿寺の境内の庭園の美しさは、鎌倉でも指折りの景色ではないかと思われるほど能く手入れがされており、方丈からみた門から本堂にかけての庭園は、杉苔状の苔の庭が、方丈と書院に囲まれた部分は枯山水様式を模したと思われる庭となっており一見の価値はあると思われた。
この寺院は足利尊氏の菩提を弔うために建立されたと寺院で、寺院の山手の方に足利尊氏の遺髪を納めた五輪塔がありました。また建立時には七堂伽藍があったと案内版に記されていますが、住職の話では古い建築物は、山門と奈良県から移築された観音堂のみで、本堂等は近年の建築とのこと。


なお、当寺院は特別の理由がないと拝観出来ない寺院でしたが、数年前からは春と秋の金、土、日(雨天と寺院で法要がある場合を除く)で拝観できるようになったとのことです。

長寿寺を出て、建長寺の前のレストランで昼食。
昼食時にのどを潤すために地ビールと思われる「鎌倉ビール」を注文。ビールのアルコール度数は、一般のビールよりややアルコール度が高く味も特徴があると会員から感想が聞かれた。

午後の散策を開始する時点で、けむるような霧雨が降りだす。このため予定していた円応寺を省略し、長寿寺横からまで戻り亀ガ谷坂切通しを歩く。この切通しは七切通しの一つで急坂のため亀が引き返したことから名づけられたとのことであるが、がやがや話しているうち頂部までのぼり岩舟地蔵堂まで下る。
岩舟地蔵堂を左折し小川に沿ってしばらく行くと浄光明寺の方向を示す標識に従って左折し浄光明寺に到着。

霧雨が小雨となり、寺院は身体が濡れるようになったため男性陣は雨宿り。女性4人は、寺院の小高い奥にある本殿を見学。
浄光明寺を出て川喜多映画記念館の前を通り小町通りにでる時点で女性陣から川喜多映画記念館に移築されている哲学者和辻哲郎の旧居が特別公開されているので、見学したいたいとの申し出があり。鎌倉駅解散の予定を少し早めて、この時点をもって散策会を解散とすることにし、以後各人自由行動となった。
解散時刻午後2時                           (完)

山本 正紀 (1964年 商学部卒)