登山同好会

2025年12月7日8日 登山同好会  忘年登山 富山(とみさん)、鋸山

南房総・南総里見八犬伝ゆかりの地 富山(とみさん・349.5m)と鋸山(329.5m)の
車力道コース

日程 12月7日(日)快晴~12月8日(月)晴れ
参加者12名(敬称略) 高森・佐々木夫妻・北原・米田夫妻・大作・松井・佐藤・清水・川口・溝口
★12月7日(日曜日)は昼食後に内房線岩井駅周辺を散策する
樹高8m、根回り6,5m、樹齢千年余の雌株の大ソテツを見学する
石橋山の戦いに破れ当地にきた源頼朝が称賛したと言われており、樹姿の美しさは日本一とも言われる。


岩井の大ソテツをバックに
続いて、福聚院の浪犀と龍の彫刻を拝観

福聚院


福聚院の波と龍


浪犀 江戸後期の房総の名工「波の伊八」と呼ばれた武志伊八郎信由の作
岩井海岸で東京湾越しに富士山・伊豆半島と素晴らしいサンセットに感激した

岩井海岸


民宿砂田に到着

夜の宴会は美味しい料理と酒を飲みながら山談義で盛りあがった

別室にて酒を酌み交わし山の賛歌など数曲を合唱しながら10時頃まで楽しんだ。
★12月8日(月曜日)の富山の登山組
富山(349,5m)は滝沢馬琴の伝奇小説「南総里見八犬伝」に登場する双耳峰の山である
里見家の姫と犬・八房と籠った伏姫籠穴や犬塚があり八犬士終焉の地でもある
民宿「砂田」より伏姫籠穴→富山山頂(北峯・展望台)・八犬士終焉の地→軽昼食→南峯→福満寺へ下山→岩井駅へ

伏姫籠穴 飛び散った八個の玉に刻まれた「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」の字が見える。
命を絶った伏姫がここに眠ると言われている
富山山頂に向かう。低山ではあるがロープを頼りによじ登るキツイ所もある登山道で所要は45分。
富山山頂(北峯・展望台)からの眺望 標高349.5m
東京湾を一望。気温が高く富士山は見えず。三等三角点


八犬士終焉の地 「南総里見八犬伝」は文化11年に刊行され、28年かけて完結。全98巻、106冊の大作。

雲一つない最高の天気。気温も丁度よく、快適な山歩きであった。
南峰(標高342m)、福満寺経由で下山、約60分。岩井駅へ歩いて向かう。

(執筆)溝口早苗 69年 教育卒

 ★12月8日(月曜日)の鋸山の登山組
房総半島の鋸山(標高329.5m)は日本の近代化に欠かせない石切り場であった。
横浜港や東京湾岸の土木工事や整備等に大量の石が必要であった。大量の石を必要とする地域に近く、
海上輸送がしやすい石切り場として江戸時代後期、安政年間に始まり、昭和60年12月まで採石は続けられた。
一行5名は岩井駅発9時6分上り電車に乗り浜金谷駅で下車。
「鋸山登山」標識に案内されて舗装道路を進む。「車力道」の案内で舗装道路と別れ、
いよいよ登山道(車力道)に、ここで2班に分けての行動となった。
車力道は、切り出した石を台車で港へ運んだ、主に女性の仕事でジグザグの石畳。
コースは、浜金谷駅→車力道コース→東京湾を望む展望台(軽昼食)→鋸山山頂→切通し跡→観月台→浜金谷駅
以下は佐藤、北原の行動である。
途中軟弱な道の個所もあったが、「分岐E」を経て展望台・山頂方面に向かった。
やがて最初の石切り場跡に至り、その壮大さに暫し見入る。

石切り場跡
ここから急登、その大部分が石の階段、幅は50㎝程であるが、段差はひざ丈ほどの場所もある。
手すりはほぼついてはいる。途中高速道路や海が見えるところがある。
「あと50m」の表示が長く感じられて標高310m?の展望台に着く。

展望台から200度ほどの素晴らしい展望
館山方面の房総半島~伊豆半島、指呼の距離に見える三浦半島まで眺めることができる。
気温上昇によってだろうか富士山は霞んで見えず。
昼食後、鋸岳山頂を目指す。巨大な携帯電話のアンテナのさらにその奥に落ち着いた静寂境、
標高329mの鋸岳山頂が「低名山」とあえて表示されてはいるが、一等三角点(補点)の山である。
山頂は樹林におおわれているが、北側が若干開けていて千葉五井火力発電所方面が見えた。

鋸山山頂にて
往路を慎重に下って「分岐E」に戻る。ここからしばらくは鋸山北側の砕石跡が続く道を進む。
落差200mほどもあるであろうか、垂直の砕石後の跡(壁)が扇状に広がり、連続している様に圧倒される。

まさに日本の近代化の歴史を語る産業遺産と言ってもよいであろう。
ここで採れた石は「早稲田大学大隈講堂の石塀にも使われた」と、『石切りの歴史』の表示板に記載されている。
やがて観月台を経て、387段の急な石階段を下って、舗装された車力道に出て、
10分ほどでJR浜金谷駅に着き鋸山登山は無事に終了した。
(執筆)北原孝浩 64年 法卒