2020年1月16日
駅シネマ同好会で『フォードvsフェラーリ』を観ました
◎ 令和2年1月12日(日)、駅シネマ同好会第54回映画鑑賞会で『フォードvsフェラーリ』を観ました。
今回は(順不同)高橋さん、内木さん、村岡さん、勝山さん、遠山さん、小林さん、江後田さん、中川さん、鈴木さん、三木さん、小沼さん、牛島さん、河合さん、嶋沢の14名が参加しました。皆さま、ご参加ありがとうございました(^^) ♪♪
【「フォードvsフェラーリ」のあらすじと感想】小林晃一
「自動車王」と言われたヘンリー・フォードは、1台ずつ個別に組み立てていた自動車の製造方法を、ベルトコンベアーを使った分業体制によるライン式製造システムの大量生産方式に改革、それによって生産する「T型フォード」を低価格で中産階級に供給して20世紀初頭のアメリカにモータリゼーションの波を起こした。かくてフォード・モーター社はアメリカを代表する巨大自動車会社になり、アメリカ経済の中核的存在になった。
だがそのフォード・モーターも、1950年代には競合メーカーとの競争に圧されて業績不振に見舞われるようになった。そこで当時の会長でヘンリーの孫のヘンリー・フォード2世は、フォード再生のためには、従来の大衆車重視路線に加えて、一層の個性的魅力あるクルマ作りが必要だと考え、ル・マンの24時間耐久カーレースで勝利し続けているイタリアのフェラーリ社を傘下に置こうと考えた。
1963年、フォードはフェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリに同社の買収を持ちかけた。交渉は副社長のリー・アイアコッカが担当しエンツォの説得にあたったが、エンツォはフォードの申し出は、伝統あるイタリアの手作りのレーシングカー製造技術をカネの力で乗っ取ろうとするアメリカ流の野蛮な企みだと反発し、アイアコッカに罵声を浴びせて破談にしてしまう。
これを聞いたヘンリー・フォード2世は激怒し、「是が非でもル・マンでスクーデリア・フェラーリ(フェラーリのレーシングチーム)を打ち負かしてやる」と決意する。
そしてフォードは多額の資金を投入してフォード・GT40を独自開発し、1964年の大会に出場したものの全車リタイアという無残な結果に終わり、翌年もまた同様の結果に終わった。だがフォードはこれにめげず更に資金をつぎ込み、アメリカのレース業界を総動員しての試行錯誤を続け、遂に1966年大会で優勝を勝ち取った。この映画は、ル・マンの栄光を勝ち取るまでのフォード・モーターの苦闘を支えた二人のヒーローの物語だ。
ヒーローの一人は、嘗てカーレーサーとしてル・マンのモーターレースで優勝した経験を持ち、カーマニアに偶像視されていながら、心臓疾患に見舞われてレースから引退せざるを得ず、カーデザイナーに転職していたキャロル・シェルビーだ。
シェルビーは、ル・マンのレースでフェラーリに勝てるクルマを開発してほしいとのフォード会長の依頼に応じて、新車開発担当責任者としてフォード・モーターに入社する。だが彼は、過酷なル・マンの24時間耐久レースで勝利するには、優れた性能を持つクルマを開発製造するだけでは不十分で、優れた運転技能と精神力を備えた優秀なレーサーを確保しなくてはならないことを熟知しており、そのためには大企業フォード・モーターの官僚的組織と販売至上主義の技術思想と闘わなければならなかった。そして、その二つの条件を同時にクリアするために、優秀なカーレーサーでありながら今は自営の自動車整備工場を経営している旧知のケン・マイルズに支援を求める。
だがレーサーとしての運転技能の高さと、自動車メカニックに関する知識経験の豊かさと正確さに於いて絶対的自信にあふれたマイルズは、ル・マンでの勝利を目指す夢に情熱を掻き立てられるが、その個性の強烈さ故に、大会社のフォード・モーターの企業風土とはどうしても折り合いがつかない。大勢の役員や中間管理者がいて、肝心のトップのフォード会長とのコミュニケーションがままならず、屡々怒りを爆発させる。強烈な個性を持つ一方で、愛する妻と一人息子の家庭をこよなく大切にするケン・マイルズを演じるのはイギリス人の俳優クリスチャン・ベイルだ。
そんなマイルズの心情を誰よりもよく理解しながらも、ヘンリー・フォード2世の野望達成に助力しようと中間に立って苦悩するキャロル・シェルビーをマット・デイモンが演じる。この二人の名優が展開してみせるシェルビーとマイルズの人間像の葛藤は、ストーリーが史実に基づいていることを知っている観客に強い感動を与える。
観客は、有名なル・マンの24時間耐久カーレースとはどんなものであるのかを、次々と展開されるレースシーンの迫力に圧倒されながら学ぶことができるし、爆走するレーシングカーの中で、レーサーはどんなハンドル捌きとギア操作をしているのかを目の辺りに見せられ、カーマニアならずとも興奮して手に汗を握ってしまう。
この映画からは更に違うメッセージが読み取れる。冒頭で販売不振に悩むフォード会長が、操業中の工場のベルトコンベアーを一瞬にストップさせ、驚いて立ち往生する従業員たちに経営改革の必要性を訴えてスピーチするシーンがあるが、あのシーンによって我々は、反って「フォーディズム」とまで呼ばれる流れ作業と分業による大量生産工場における「ライン操業」の重要性の意味を再認識させられる。
その一方で、アイアコッカ副社長が買収を持ち掛けるべく乗り込んだフェラーリの工場では、依然として自動車一台ずつを、エンジニアたちが文字通り手作りで製造しているシーンが見られ、「高性能スポーツカー」の代名詞のフェラーリがなぜ突拍子もなく高価なのかもよく分かる。
また映画では、リー・アイアコッカ副社長は、「魅力ある個性的車づくり」の必要性を唱え、ル・マンでの勝利を目指すシェルビーとマイルズを援護する野心的経営者としてヘンリー・フォード2世会長の信頼を勝ち得ていく様子が描かれてる。
だが現代の我々は、アイアコッカはその後社長に昇進したが、やがて経営方針をめぐってフォード2世と対立するようになり、結局はフォード2世から馘首されてしまい、競合会社のクライスラーに移って、フォード・モーターの「敵」として活躍して晩年を迎えたことを知っている。
いま自動車産業は、ヘンリー・フォードが「ライン式製造」による「T型フォード」で全米にモータリゼーションの波を巻き起こした時代に匹敵する大変革の時代を迎えつつある。
石化燃料をふんだんに燃焼する自動車は環境破壊の元凶とされてエンジンの電気化が求められ、自家用車の常時保有は不経済だとされてカーシェアリングが普及し、更には自動車の運転そのものが疎んじられて各メーカーは自動運転車の開発を競っている。そんな現代にあって、敢えてル・マンの耐久カーレースをめぐる企業間闘争のドラマを映画化した製作者の意図は、奈辺にあるだろうかと思いながらスクリーンを後にした。
2020年1月12日鑑賞