散策会

(第16回)両国界隈散策記

両国駅に集まった今回のメンバーは、オール男性 14名 。女性ゼロとい うのは、小生の経験では久 しぶ りのことで、やはり何か足ない思いが したのは小生だけだろうか。定刻前に全員揃 い、まずは近くの回向院へ。それにしても今日のこの上天気 !師 たとは思えぬ暖かさ穏やかさ。回向院の、まだ散らぬイチ ョウの黄色が青空に映える。大相撲の力塚、鼠小僧次夕吉の基、海難者慰霊塔等を見る。次郎吉の基の前に小ぶりの墓石が立っていて、『 お前立ち』をお削りくださいという立て札。回向院のホームベー ジにある 「お立ち」の写真では、まだ墓石 らしく角張 ってお り、後にある本来の墓と同じ書体で彫 られた戒名も今やすっかり角がとれて戒名もあとかたない。丸みをおびたただの石だ。ギャンブラーばかりか晨近では合格祈願で削り取 って行く人が絶 えない とか。


大通りの喧騒離れて次の吉良邸跡へ向かったが、この裏通りもやたらかまびすしい。何事かと見ると元禄市」の上り旗。衣料品雑貨類などのワゴンセールがズラッと並んで大賑わいだ。この元禄市」は地元の商店会、隅田区観光協会などの主催で、義士討ち入りの14日に近い土・日をあて、30年以上前から続いているそうだ。14日 には吉良邸跡で「吉良祭」なる神事があると開いた。元禄市の人だかりをかきわけ、海鼠壁長屋門を模した吉良邸の跡印 ち本所松坂町公園」に入 る。上野介義中央の上屋敷はの広大なものだったそうだが、 これはそのうちのほんの一角、 ちっぽけ「邸跡」で、中には首洗いの丼戸」(ホ ンモノ?)が ある。再び大通りに出て国技館の前を安田庭園へ。常縁樹 の多公園だ。よけい紅葉が目立つ。水鳥が遊ぶ池のほとりで今回の記念写真を撮影。舞い上がる島の姿を追って空を仰ぐ。部会の中のこの癒しの空間に再び今日の好天を実感
庭園と筋向いの東京都慰霊堂へ。壼の中に入 り焼け野原となった市街、折り重なった黒焦げの死体など、関東大震災および東京大空襲の惨状を伝える絵画や写真を観る。私事になるが昭和 20年3月10日 の大空襲時、小生は学童疎開で茨城県境町に居り空襲に遭なかった。東京に在れば自分も焼死したかも知れぬことに改めて思いをいたし、犠牲者の霊に線香を手向けた。考えると今回の散策では、明暦の大火による無縁者を弔った日向院しかり、慰霊堂しかり、総じて数十万の犠牲者の霊を慰めて歩いたことになる。世の平和安康を祈るばか りだ。

 

午後3時通ぎると冬の日差しは夕暮れに近くなる。コース晨後は江戸東京博物館。常設展示を1時間半各自思い思いに見学。足下の床に安政年間の江戸の大きな地図がある。早稲田大学の地 はどの辺りかと、穴八幡の在り処を偶々居合わせた牛島へと探 したが なかなか見つからない。やっと牛島氏が見た穴八幡の隣接地一体は「下戸塚村」の田地が広がり、堀部安兵衛が駆けつけた「高田の馬場」が描かれていた。 5時 10分前に入口に全員集合1、すっかり暗くな えてきた両国の街路を、未月の今 ごろは初場所興行中でこの界隈混雑するだろ うなどと思ったりしながら、駅溝内の居酒屋へと急ぐ
戦前の建物である両国駅舎 その内部を改装した 「ビアステー ション両国」内の「江戸和食隅田」で散策会の忘年会。杯を重ね、大いに交歓、来年もまた互いに元気で会うことを期 して6時半項散会 となった。
今丼   (1957年 文学部 英文卒)