散策会

(第40回)三鷹・井の頭自然文化園散策記 

10月19日(日)、さわやかな散策日和の一日でした。流山おおたかの森から、上谷・西川・石橋・山本(正)・西山・菅原・今井・牛島・漆野の各氏9名が、つくばエクスプレス線、総武線、中央線を乗り継いで三鷹駅に着いたのは午後1時50分。ここで、榎本さん、秋田谷さんも合流して総勢11名揃って散策開始です。

「風の散歩道」

三鷹駅南口を出ると左手に玉川上水と緑豊かな散歩道が見えてきました。ここは三鷹駅から井の頭公園前の万助橋までの玉川上水に沿った800メートルの道で、「風の散歩道」と呼ばれています。この名称は、1,000件を超える公募作品から選ばれたそうです。

玉川上水は、江戸時代、1653年に開通し、神田上水と並び江戸の上水として大いに利用され、明治初期には物資輸送のための通船にも利用されました。かつては「人食い川」と恐れられるほどの水量でしたが、上水としての役割を終え、戦後の市街化で水質が悪化し、ついには水の流れない空掘の時期が続きました。その後昭和61年に東京都の清流復活事業で水が蘇ったそうです。

また、太宰治が入水したとされる紫橋も「古今和歌集」より、昔このあたり一面に咲きほこっていた紫草で染め上げた「むらさき染」にちなんで命名されたと言われています。紫橋まではほとんど水面が見えないほど、流域にはケヤキ、ヤマザクラなどの多くの樹木が生い茂り、散策にはとても心地よい所でした。

紫橋を過ぎるとまもなく、白漆喰を塗りこめた門柱に、不規則に石が埋め込まれている門のあるお洒落な洋館が見えました。山本有三記念館です。建て主は山本有三ではなく、当時アメリカ留学の経験を持つ清田龍之介という人が、1926(大正15)年に建てたものです。当時、武蔵野村吉祥寺に住んでいた有三が静かな執筆環境を求めていたこと、一部鉄筋造りの堅固な建物がとても気に入ったこと等により、土地とともに購入しました。

有三は1936(昭和11)年から1946(昭和21)年進駐軍に接収されるまでこの洋館で過ごしました。

記念館の入り口の名作を記念する「路傍の石」は有三自身が道ばたで見つけ、庭に運び込んだものと伝えられ、作品の名にちなみいつしか「路傍の石」と呼ばれるようになったそうです。

(建物の概要)

建物は鉄筋コンクリート造と木造の混構造で、地下1階、地上2階建、非公開の屋根裏部屋があります。外観は周囲の雑木林と調和するように造られた、イギリス風の建築で、玄関脇の小窓などにあらわれる尖塔アーチは、中世ヨーロッパの趣味を感じさせます。

玄関を入ると木材と漆喰による化粧屋根裏を思わせる天井空間があり、南西の角には晩餐客がくつろげる広々としたドローイング・ルーム(応接間)があり、マントルピース(暖炉)はこの洋館に3つある個性的なマントルピースの中でも、重厚で品のある造りになっています。また、イギリスの近代住宅に見られるイングルヌック(造り付けの長椅子や書棚のある暖炉コーナー)もあり、異国趣味の融合が見られます。有三が書斎として改装した2階中央の和室は、床の間と棚をもつ数奇屋風の書院で、有三の趣味と言われています。

 

(三鷹国語研究所と児童図書館)

昭和20年、終戦で疎開先から三鷹に戻った有三は自邸内に三鷹国語研究所を設けました。翌年、これを母胎にして「国民の国語運動連盟」が結成され、この連盟の最大の功績は「日本国憲法」の口語化を実現したことでした。その後多くの人々の努力により、かたかな書きの文語体から現行のひらがな書き口語文の「日本国憲法」が実現しました。それは時の流れと共に、有三の生涯を貫いた文体改良の実践の重みに支えられてできたものです。

 

また、有三は少年少女によい読み物を与えようとして、自ら実行したことが、3つあり、「日本少国民文庫」の刊行と自邸内に開いた児童図書館「ミタカ少国民文庫」、少年少女雑誌「銀河」です。当時の暗い不自由な世相の中で少年少女に喜びと希望を与えました。

「日本少国民文庫」では<世界を見る大きな眼と高遠な志を持つ>ことを求め、「銀河」では<心を大きく持ってください。世界全体を、人類全体を、全宇宙をながめわたす、大きな眼を持ってください。さうすれば、人間が第一にしなければならない事は何であるかということも、自然にわかってくるはずです。>と述べました。

 

有三は昭和31年9月土地と建物を東京都に寄付し、都では「有三青少年文庫」の名のもとに33年1月開館し、読書指導と教育相談とを行う施設として長く有効に使われました。その後改修を行い1996年(平成8)11月3日に、「山本有三記念館」として開館しました。応接間から見えた美しい庭園を前に全員で記念撮影。ヨーロッパの王宮庭園の雰囲気が漂う庭園は、暫し心が休まる思いがしました。

有三はこの洋館で、代表作となった「路傍の石」や戯曲「米百俵」の執筆、新かなづかい・当用漢字の制定など、文学者として、また文人政治家として、数々の志を実践しました。そしてこの洋館も、山本有三の志のもとに、少年少女に喜びと希望を与えるという大きな役割を担ってきたことを思うと、重厚な建物がさらに輝いて素晴らしい歴史の重みを感じます。

「井の頭自然文化園」

記念館をあとに、風の散歩道をぬけて井の頭自然文化園に到着しました。ここは井の頭恩賜公園の一角にある都立動物園ですが、動植物の観察のみならず彫刻芸術も鑑賞できる総合文化施設として、また心なごむ公園として幅広い年齢層に親しまれています。

正門をくぐるとすぐに彫刻園の案内役「天女の舞」のブロンズ像に出会えます。園内に点々と配置された彫刻を見ながら奥に進むと、雑木林に包まれた彫刻園に入ります。木造の三角屋根のアトリエ館がありました。ここは故・北村西望が長崎の平和祈念像を制作した所です。中に入ると、祈念像の木製の原形などが展示してありました。

大変精巧に造られていて見事でした。また中庭をはさんで2棟の彫刻館があり、大迫力の平和祈念像を目前にして、西望の平和祈念像に込めた思いが感じられました。

また、2008年は国際カエル年ということで、故・小沢一蛙の沢山のカエルコレクションも見学出来ました。

柏での反省会も和やかなひと時でした。散策会の皆さんと自然に親しみながら、秋の一日を楽しく過ごすことができました。幹事の山本正紀さん、有難うございました。

西山 富美子(1973年 文学部卒)