散策会

(第28回)大宮盆栽村・散策記

7月17日(月)篠突く雨の中南柏駅へと向かう、ウォーキング鉄人の小西さんが膝下ずぶ濡れで待っていてくれる。当初、予定の2日から本日へと変更になったのはラッキー!10:05前、集合場所の大宮公園駅到着、雨も優しく小降りとなってメンバーを歓迎、総勢21名で駅を後にする。

大宮盆栽村は大正14年に開村、戦前の最盛期には30を越えた盆栽村は当初からオープンガーデンシステムでる。しかし、戦後の苦しい時期を耐えた現在も見学者たちが自由に御棚拝見を楽しめるのは数軒の事である。手入れの行き届いた最高の仕上がりで名品がしっとりと雨に濡れ満面の笑みで待っていてくれる。先ずは駅に最も近い「芙蓉園」へ、私事で恐縮だが40年前、盆栽雑誌「樹石」創刊号で園主・竹山房造氏にインタビューした事が、昨日の事のように思われる。先代生き写しの当主から、まことに嬉しい再会をプレゼントされた。

祖父(私の)の遺作、真拍・銘「昇天の龍」あれは今どこに…?と尋ねた所「ホラそこの水盤に」という思いがけない答え。「龍」は東京のわが家にあった頃に比べるとシャリ(白枯れした幹)の部分が半分ほど葉のかげになっている。そうだ!龍は若返ったのだ。二百歳位にしか見えない。とにかく美しい!祖父は日本一の盆栽名人(江前みそをお許しください)パリ万国博のゴールドメダリストである。「龍」東京の我が家にあった頃に比べるとシャリ(白枯れした幹)の部分が半分ほど葉のかげになっている。そうだ!龍は若返ったのだ。ニ百歳位にいか見えない。とにかく美しい!

傘を連ねて次に向かったのが「市立漫画会館」大宮生まれの日本近代漫画の先駆者、北沢楽天の作品や遺品が展示されている。画室も当時のまま、そっくり残されている。Cartoon,comicの語を「漫画」と和訳したのも彼という。一階の展示室入口、最初に目につくのは肉筆軸装画「厳上弁財天図」の何とも品のあるお顔。庭園のように整った緑の小径を小走りに、二番目の盆栽園、「藤樹園」見るだけの団体さんをにこやかに迎えてくれたのが園主の浜野博美氏、なんと彼も弟君も法学部卒という。一気に親近感が倍増!世界各地を巡り盆栽道発展に寄与されている。クリスチャンだった先代の頃から当園は外国人客が多かった。園内の盆栽は約二千鉢、国際見本市、東京オリンピック、等々通訳のアルバイトでいつもご一緒させて頂いた。盆栽四季の家」ここでちょっと雨やどり

純和風、当地に相応しい、しっとりとした佇まい。無料というのが嬉しい主婦たちは、つつましく喜ぶのであった。大変な蒸し暑さで喉が乾く、私は500mlボトルから大事にチビリチビリ、芳樹園の娘は散策記をと予期せぬ指名を受けた時から汗腺が全開。喉はカラカラ、気力を取り戻し三軒目の「盆栽園」へ。その前に巣鴨口の盆栽園について一言、香樹園、芳樹園(実家です)板橋の精大宛等、江戸時代から続く名園があった。昭和20年3月10日の空襲により全て灰じんに帰した。我が家の三千鉢の盆栽はあとかたも無く、焼夷弾のすり鉢状の大穴が三ケ所に残っていたのを今もアリアリと覚えている。

山田「清香園」最近テレビで女性盆栽家として活躍中の香織さんが庭先にいた女性なのかもしれない。草物、小品を中心に可愛らしい鉢が並んでいる。誰もが手軽に楽しめる盆栽という“時代”を捉えたセンスの庭である。リックサックはお腹に抱えて!と言う事で一同、花魁道中よろしくしずしずと拝見。締めくくりは「曼青園」91歳になられる園主、三郎氏が作業室に座っておられる。杖を片手に遠くを見る目はさながら盆栽の精。昭和のNHKテレビで氏は「盆栽の顔」である。流石に格調高い蝦夷松、五葉松が並ぶ、が、なんと言っても目を奪われるのは巨大真拍。当園での持ち込みは35年と日は浅いが樹齢二千年を超えるという。糸魚川市外の険しい山頂に自生していたこの樹の山採りを試みては、十指に余る人が命を落としていると言う。

天かける龍とも天人のはごろもとも見えるシャリが凄い。この先千年を生きられる世であって欲しい。昨年、ワシントンで開催された第五回世界盆栽会議では90歳の加藤氏はスタディングオベーション、を送られた世界の盆栽人なのである。

導師に別れを告げ本日のメインイベント“アサリ釜飯”藍屋へと線路の北側へと歩みを進める。海の日にアサリ釜飯とは粋な話と江戸っ子幹事さんに心から感謝しつつ舌鼓、新メンバー大沼さんのご挨拶と市展受賞のお知らせ。おめでとうございます!是非、拝見させていただきましょう。

この後緑に包まれた「県立博物館」アップダウンを上手にとりいれたロケーション。常設は後回しにし先ずは本物も偽物も同じ輝き、縁なき衆生には20kgという千両箱をもってみて何故か昔の泥棒さんに愛おしさすら感じた。途方もないマネーが瞬間ワープしてしまうご時世ゆえでしょうか…?緑と雨に身も心も潤った素敵な散策会でした。

中川紀子 (1963年 教育学部卒)