散策会

(第35回散策会)奥多摩散策記

10月6日(土)は、ちらほらと雲が空に浮ぶ晴天に恵まれ、幸先よいスタートとなった。定刻より少し前に7名全員揃い、乗車予定より一台前の電車で武蔵野線南流山より西国分寺に向った。休日の朝7時半にも拘らず、車内は結構な乗客数で、われわれは吊り革族として車上の人となる。好天と三連休の初日と言うことで、何処かに向かう行楽客が多いのであろうか。しかし、東武鉄道との連絡駅の南越谷で全員坐れ、のんびりと雑談しながらの旅となった。西国分寺、青梅と電車を乗り継いで9時46分ウオーキングのスタート点の二俣尾に到着。

先ずは吉川英治記念館を目指して出発。どこからともなく木犀の花の香りがし、青梅線の車窓からもよく見られた彼岸花が所々に真っ赤に咲いており、秋の気配が色濃く感じられる道を辿る。途中、多摩川を渡るが、橋からかなりの高度差の下を流れる川の色は、白濁しており清流とは程遠い色合である。これは数日前の雨によるものか、あるいは近くにセメント工場のようなものがあり、ここから鉱物質のものが流入したことによるのではないかと話し合うと、二十日程前に下見をされた榎本さん、山本正紀さんの両世話人によれば、その際もこの様な色だったと言われた。

15分程歩いて吉川英治記念館に到着し拝館する。吉川英治は、昭和19年この地に疎開し、元地元の有力者の持ち家だった広い庭を持ち、どっしりと構えた風雅の趣のある和風建築の家に移り住んだ。昭和28年に東京に戻る迄、この家に9年間住み、ここで戦後の代表作となる「新・平家物語」などを執筆した。英治が家族と共に居住した母屋とこれに附設する思索や執筆に使用された書斎には、この建物が吉川家の私邸のため入館できないが、玄関の三和土や庭からの窓越しに内部は見て取れる。客間には「草思書屋」、書斎には「吾以外皆我師」と自ら揮毫した書が掲げられていた。

母屋の裏側に、没後英治の広く愛された吉川文学を顕彰する展示室と収蔵庫が建築され、館内には、遺稿、著書、書簡、自ら筆を執った書画のほか、受賞の勲章、遺品、写真、資料などが展示されている。英治の人となりや業績などを紹介するビデオを視聴したり、興味深く展示品を見て廻った後は、よく手入れが為されている庭を一巡して退出した。

記念館からは、交通量の多い幹線道路の奥多摩街道(別名吉野街道)を避けて、英治も散歩したと言われる現在草思堂通りと名付けられている小道を歩いて沢井方面に向かう。草思堂通りも終り吉野街道を暫く歩くが、多摩川に流れ込む細流をふたつ程渡るが、ここは清い水流だった。櫛かんざし美術館前を通り過ぎて間もなく、多摩川本流に架かる楓橋の袂に出た。この袂脇から少し登った山の中腹に寒山寺の簡素なお堂と鐘楼があり、このお堂脇の展望台で持参の昼食を摂った。この展望台からは多摩川が真下に見え、楓橋付近で川は湾曲し川幅も広くなり見晴らしは良い。然し、水の色は相変わらず灰白色である。川にはカヌー遊びをする人達も見られた。

食後、楓橋を渡り対岸の澤乃井園に入り、店の人に本日の自然探勝のメインコースとなる多摩川縁の御嶽渓谷遊歩道の歩行が可能かどうか尋ねる。過日の下見時は、台風による損壊が甚だしく通行不能だった由で、復旧されていることを期待したが、答えはノーで残念ながら、玉堂美術館へは電車で向うこととし、電車発着時刻迄暫し園内で休憩した。

沢井から次の駅の御嶽まで電車に乗り、御嶽駅から多摩川の川縁に下りて御岳小橋を渡る。天気は、いつの間にか山に近づいた為か、雲が多くなり日差しも弱くなり、川風も心地好い。だが橋付近の状況を見て驚いた。両岸の川べりには夥しい流木が散乱し、またセメントで造られたベンチの腰掛盤の破壊された残骸や吹き飛ばされた表示看板も散在し、目下復旧工事が行なわれていた。対岸に渡ると川面から10m近い高さの岸辺にも増水した川の流れの跡が見られ、先の台風襲来時のとてつもない増水量とその流れの力の強さをまざまざと実感した。川の濁りは、奥多摩湖(旧名小河内ダム)に流れ込んだ雨水を放出しているが、このときダムに堆積していた石灰質が水と共に流れ出したことに由る様で、台風後1ヶ月程も経つのに清流に戻らないのは異常だと地元の人が言っていた。

玉堂美術館は、明治、大正、昭和の三代に亘り活躍された日本画の巨匠、川合玉堂を顕彰するため建てられたものであるが、玉堂も昭和19年御岳地区に疎開し亡くなる迄過ごした。この地の自然と地元民を愛したことから没後、有志の方々の寄付と尽力により、多摩川の清流を見下ろすこの地に建設された。館内には、年少の頃の写生画から晩年の作品までが展示されており、展示には収蔵品の中から季節に合う作品を年に7回替えているとのことで、現在は秋に画題を求めた作品が数多く展示されていた。当館の庭は、白壁と箒目鮮やかな砂と散在する岩でなる石庭で、背後は奥多摩の緑濃い山が借景となって、日本画の美術館に相応しいものであった。

小沼・山本(正)・詫摩・奥野・石橋・菅原・榎本

美術館見学後、帰路に着いたが、本日は、コースポイントとなる予定だった渓谷遊歩道の散策が、台風の余波で不能になったものの、二人の文化勲章を授けられた偉大な文人と画伯の記念館を訪れ、その作品や縁りの品々を拝観できて、満足の行く日だった。天気の方も下界は、雲一つない真っ青な晴天が夕方まで続き、爽やかな気持で帰宅した。

奥野靖三(1959年 政経学部卒)