2024年4月5日泣きそうな天気のなか6名で散策をしました、新松戸から武蔵野線で西船橋駅で乗り換えて二つ目東西線妙典駅で下車しました。
旧江戸川で流山と川続きの行徳を本日は散策します、散策したルートは上の絵図を参考にしてください。
成田道は現代では行徳の主要な道となっており、想像以上に広い道でした。
「行徳千軒寺百軒」と言われるほど行徳は寺社が多く特に寺町通には多くの寺があり、徳願寺には円山応挙の有名な幽霊の絵や宮本武蔵の書があります。普段は非公開ですが、お十夜会(11/16)には絵が公開されるそうです。
権現道、左側の細い道です。徳川家康公が東金に鷹狩りに来た当時は多分家も少なく寺町の雰囲気があったのでしょう。
旧江戸川沿いを散策しました。
常夜灯公園の桜が咲いています。
常夜灯は、文化9年(1812)に江戸日本橋西河岸と成田山をお参りする人々が航路安全を祈願して建てたものだそうです。行徳船は日明け六ツ(午前6時)から暮れ六ツ(午後6時)まで運航されていました。(常夜灯には日本橋の文字が見えます)
手前の船は「行徳船」呼ばれ、江戸川を下り、新川・小名木川を経由して、日本橋小網町まで、約12.6キロメートルを就航していました。 歌川広重 江戸近郊八景 「行徳帰」
錦絵奥の船は「高瀬船」流山で味醂を積んで、行徳で一度積み下ろししてから「行徳船」に積替え日本橋まで運んでいた事でしょう。(流山市博物館の展示品を掲載)
笹屋うどん跡、日本橋からの荷物を下ろしたり、塩を積み込んだり、お腹を空かした船乗りで賑わっていたそうです。
田中邸、明治10年建築の田中町長宅、歴史的建造物として市が保存してます。
ふれあい伝承館、行徳の歴史や塩などのモノづくり文化をガイドさんが説明してくれました。
伝承館休憩所、ここでみんなで一休み。私が担当して休憩タイムを入れたのは初めてでお汁粉が美味しくて大好評でした、今後も休憩タイムは大事にしたいと思います。
休憩所を後にして私がスマホを忘れてしまいましたが、休憩所の人が自転車で追いかけてきてくれ無事手元に戻りました、ありがとうございました!
一息ついた所で行徳神輿ミュージアム(行徳で制作された江戸型の神輿は全国の8割)中台製作所さんが運営してます。又3年に一度地元の「五ケ町祭礼」では神輿ミュージアムの神輿も登場するそうです。
私の見たかった神輿の内部構造も丁寧に説明してくれました。
松井さんが見ているのは「2尺3寸屋根破風型総白木神輿」、屋根の螺鈿仕上げが見事でした。
曇天の一日でしたが、皆さんの日頃の行いがよくほとんど雨は降りませんでした。今回の散策では忘れ物のスマホを届けてもらい心温まる思い出ができ、私にとって行徳と流山が身近になった一日でした。
笠井敏晴 (1972年 教育学部卒)