日時:平成17年12月18日
目的地:深川界隈
第1級の寒波という18日、今年最後の深川界隈の散策に向かう。門前仲町で地下鉄を降りる。この時期に見られるクリスマスの飾りや歳末商戦のにぎにぎしさもない静かな佇まいに少し戸惑う。しかし歩いていくうちに「うぐいすのふんあります」という看板や「深川めし」という幟を立てた食堂を目にしたり、ランチ時に行列のできるという漬け物の老舗「近為」があったりして下町らしい雰囲気が漂ってくる。「うぐいすのふんは深川芸者さんが使うのかしら」とか「深川めしってあさりだったかしら、食べたいなあ」と勝手なことを思いながら歩を進める。そんな時、突然、今回の散策記を書くように声がかかり、現実に引き戻された。今までの散策記の整然とした文章に感心させられていた身としては、困惑することしきりだが、仕方がない。見たこと、聞いたことをどれだけ頭にたたきこめるだろうか。
最初の目的地、富岡八幡宮では日本一という大神輿に目を見張る。その大きさもさることながら、装飾の鳳鳳の眼や狛犬の眼に三カラットもあるダイヤが埋め込まれているという説明にまたまたびっくり。境内には相撲関係の碑が多くあり、歴代の横綱の名前が記された碑もあった。朝青龍の後にその名を刻むのは誰だろうか。続いて深川不動堂へ行く。線香がたちこめる中、参拝する。ここで漆野さんが病院での診察を終え家に帰れることになったという一報が入る。西船橋駅での辛そうな様子を見て心配していた私達は一安心する。
深川江戸資料館は想像していた以上に魅力的であった。江戸の路地裏に暮らす人々の日々の営みがリアルタイムで伝わってくるようで、本当に、今そこに人々が住んでいるかのような精巧な作りである。軒先に置かれているろう細工の米、大根、人参も本物と見まごうほどで、大きさ、色、形も当時のものを再現しているという。人参も細く長く、真っ赤な金時人参で、今の西洋人参とは違っていた。私も小さい時は、この人参ばかりだったなあと、懐かしくなる。井戸、厨など庶民の生活を垣間見て、名残を惜しみつつ清澄庭園へと急ぐ。紀ノ国屋文左衛門の別邸と言われ、三菱財閥の岩崎家の所有を経て今は都が管理しているというこのお庭は、噂にたがわず端正な停まいである。常緑樹が多く、その緑が寒空に映え、池を泳ぐユリカモメの白との対比が見事であった。たくさんの渡り鳥も飛来していて、その一つ一つ名前を榎本さんに教えていただく。到底覚えられないので、たった一羽しか見られなかった首の茶色の鳥の名前だけでもと一生懸命覚えたつもりだったが、今、書こうとしても全く思い出せない。やっぱりメモをとっておくべきだったと思うが後の祭りである。
清澄庭園を出て大鵬部屋、北の湖部屋の前を通り抜ける。なんとなく日本的な建物をイメージしていたが、なんの変哲もない洋館であの中に土俵が作られているのだと思うと不思議な気がする。最後は芭蕉庵史跡展望公園へ、隅田川を臨む高台で、両岸の高層ビルに現代の日本を見てしまう。
若いカップルに全員揃っての写真を撮ってもらう。この後「みの家」へと急ぐ男性陣に別れをつげ、女性二人は森下駅から帰路に着く。深川は確かに江戸の面影が残るどこか壊かしい町であった。今年一年散策会のために、お世話下さった皆さん有難うございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。
そして来たる年が皆さんにとって良いお年であります様に。
小西牧子 (1967年文学部 国史卆)