9月6日(土)東武線柏駅に集合して大宮行き13時6分発に乗車し、予定通り13時55分に出発地の岩槻駅に到着しました。途中から乗車した方や岩槻駅で合流した方を含め総勢16名での散策会になりました。
岩槻駅ではすでに岩槻観光ボランティア会の田口さんという方が待機しておられ、岩槻の歴史を記述した資料や散策コース及びそれぞれの観光スポットを紹介した資料を全員に配布していただきました。
早速スケジュールに沿って14時から散策の開始です。
最初に訪れたのは「芳林寺」という曹洞宗の寺院です。ここは、大田道灌公の曾孫大田三楽斎資正の母公が芳林妙春尼と号していたことから芳林寺と称され大田道灌公の御霊廟がまつられており、また、昨年建立された立派な大田道潅公の銅像もありました。ここで全員記念写真を撮影しました。
田口ガイド・奥野・幾島・千葉・森・今井・小沼・秋田谷・松井・山本(正)・高口野中・奈良・牛島・山本(彰)・小林・榎本(撮影)
次に訪れたのは「八雲神社」という神社です。ここは、別名市神社といわれ市宿の市神様を祭っており、祭神はすさのおの尊(商いの神、火防の神)で、現在でも毎月1と6の日には市が開かれているという話でした。市宿通りと呼ばれる市神社の前の通りには、今でも昔のおもかげを残した蔵つくりの商店などが散在していて少し小江戸の雰囲気を感じた次第です。
続いて訪れたのは、かつては私塾でその後藩校となった「遷喬館」と呼ばれる建物です。遷喬館は中国の書物の詩経からとった名前で遷宇喬木にもとづいているということを教えてもらいました。現在は多少修復されていましたが、かやぶき屋根など当時の面影を感じました。時代劇を見るとよく藩校で論語など学ぶ様子が出てきますが、そんなことを思い出しながらの見学でした。
その後訪ねたのは「時の鐘」です。時の鐘で思い出すのは川越の時の鐘ですが、川越の時の鐘とほとんど同じくらいのもので決して見劣りはしませんでした。1671年に鋳造され1720年に改鋳されたものですが、今でも毎日朝6時と夕方6時の一日2回鐘を鳴らしているそうです。但し現在は自動で鐘を鳴らしているので聞こえる範囲が狭まったというのは
残念です。やはり鐘は手で突いたほうが迫力でるのでしょう。ちなみに鐘の大きさは、高さ151cm、口径73cm、重さ750kgということです。
その後「城址公園」に向かいました。とても広い公園になっていて市民の憩いの広場という感じです。また桜の季節は大変な人でにぎわうそうです。そして今でもところどころの城の土塁やお堀が残っていて、室町時代後半に築城されて維新後の明治6年に廃城されたという岩槻城の名残を留めておりました。
その後訪れたのは「浄安寺」です。ここも古いお寺で徳川家康が1600年に上杉景勝を征伐したときにここに1泊したと伝えられているそうです。その縁か、徳川家康の六男松平忠輝の子である徳丸(家康に反抗したといわれる)と側室お竹の局の墓がありました。
最後に訪れたのは、「愛宕神社」です。そんな大きな神社ではありませんが、高いところに社殿が設けられていました。ガイドの方によると5メートル程あり、この高さが城郭の土塁の高さだそうで、いかにも平地に築城した岩槻城を物語っているようです。このような行程で17時近くに約3時間の岩槻散策が終了しました。
個人的には、岩槻に会社の事業所がありますので仕事ではよく行っていましたが、人形の街岩槻という印象しかなく、歴史ある岩槻としてこのような場所があることさえ知らない状態であり本当に驚きで一杯でした。
そして、9月の残暑がとても厳しくたくさんの汗を出しましたが、その分、岩槻にまつわる歴史の知識をたくさん吸収できた半日だったと思います。
最後に、このようなすばらしい散策を企画運営していただいた世話人の山本正紀さんに感謝したいと思います。ありがとうございました。
小沼 俊人 (1968年 法学部卒)