散策会

(第55回-2)成田のうなぎ忘年昼食記

*11月19日(土)、散策会一行は 成田山詣での帰りに 表参道の「川豊本店」に寄り、「上うな重」をいただきながら、この1年を振り返りました。

*当日朝、私は目覚めてすぐにPCを開き、忘年散策会世話人の漆野さんからのメールを待ちました。下り模様の天候に気を揉んでいたところ、「本日朝6時の成田山新勝寺の天気予報は、午前中 曇り、午後弱い雨(1mm)となっています。気温は20度前後です」という、【散策会実施】を告げるメールが届きました♪

*(途中略)成田駅に近づいても一向に雨が止む気配がないので、「漆野予報だよ!」という声が電車内から上がりました。

*(途中略)私たちが新勝寺を出ようとした直前、奇跡的に雨が止みました。パワースポット新勝寺と漆野さんのミラクル予報のお蔭でしょう!「漆野予報」と言い放った皆さんも「漆野予報士 !!」と肩書き付きで呼び、喜々として昼食場所の「川豊本店」に向かいました♪

【↑うなぎビフォー】
*成田山表参道にはうなぎ料理を扱うお店が60軒ほどありますが、老舗の「川豊本店」はすぐに分かりました。目印の銀杏の特大まな板で、この道40年という職人さんが次々とうなぎを捌いていました。

*私たち一行は、昭和の雰囲気が漂う広い部屋に案内されました。漆野さんの音頭で盛大に乾杯して盛り上がり、焼き立ての「上うな重」を待ちつつ歓談しました。(*^_^*)

【↑うなぎアフター】
*いよいよお待ちかねの「上うな重」の登場です♪
お重の蓋を開けると、照りのある大きなうなぎ様が鎮座していました。小粒でピリリの山椒をパラパラ掛けて、早速いただきました。

うなぎの身は、箸です~っと切れるほど柔らかくて、口に入れるととろけるようでした。関東では蒸してから焼き、関西では蒸さずに焼くと言いますが、「蒸し」ならではのふっくらした食感でした。皮の方はパリッとクリスピーで、焼きたての香ばしさが漂いました。

創業以来継ぎ足してきたという秘伝のタレは 深みやまろやかさがあり、濃すぎず甘すぎずで うなぎの風味を引き立ていました。ご飯の量とうなぎとのバランスも黄金比率で完璧でしたが、私たち元若者は、総カロリーが気になりました。

*うなぎを堪能してカロリーオーバーになった私たちは、帰りの電車で、どうして成田は“うなぎの街”と呼ばれるようになったのか、その由来を考えました:利根川や印旗沼でうなぎが獲れたから、成田詣でに来るお客をうなぎでもてなしたから、「土用の丑の日にうなぎを食べると夏バテしない」と平賀源内がキャッチコピーして成田でもうなぎを売りにしたからetc.

*「成田市HP(成田うなぎ祭り)」を見たら、詳しい由来が載っていました:

「養殖が盛んになる遥か前から、利根川と印旗沼に挟まれている成田では、うなぎ・川魚を食べていた。江戸元禄時代に活躍した初代市川團十郎の父親が成田出身だったこともあり、成田の名前が江戸中に広まり、江戸から3泊4日で行ける行楽地として、成田山へお参りする人が増えていった。門前町の旅館で、利根川と印旛沼の水産を参詣客に提供した。」

*帰路、皆で成田のうなぎの由来を話し合った時、川口先輩が、「江戸~成田の旅は当時【3泊4日】かかったと言われているけれど・・・」とおっしゃり、次の主旨の新説(珍説)を披露しました。(^0^)

「成田山詣では普通は【2泊3日】で済むのだが、成田のうなぎで精がつきすぎて成田街道沿いの“船橋”に寄り道して 濃厚な一夜を過ごしたので、3泊4日になったのだ。」

私たち一行は 爆笑しながら冗談半分で聞きましたが、その辺の事情を家で検索してみたら、↑「川口説」を裏付ける(?)イロイロな情報が見つかりました!

*今回の散策会では極上のうなぎを堪能できた上、千葉の歴史・風俗も勉強できて、大変ためになりました。諸先輩の皆さま、世話人の漆野さま、ありがとうございました。m(_ _)m

嶋沢 伶衣子(1981年 独文卒)