(実施日) 平成23.11.19.(土)
(参加者) 秋田谷、石橋、漆野、榎本、上谷、北原、嶋沢、徳竹、松岡、山本(正) 川口(11名:敬称略)
今年最後の散策会はあいにく雨天での実施となった。前日の天気予報では成田市の午前中は曇り、午後は雨となっていたが、無情にも朝から雨、幹事の漆野さんからは6時30分のメールで予定通り催行の連絡が届いた。
参加者11名は柏発9時28分の成田直行電車に乗り1時間ほどで終点成田駅に到着した天下の成田山だけあって、参道には漬物、羊羹、和菓子、うなぎ、和食などの店が軒を連ねているが、今風の女性向けのケーキやスウィーツの店も目についた。雨天のせいか、いつもの賑わいはなく、手持無沙汰にしているお店の人を横目に見ながら、駅から10分ほどで成田山の正門ともいえる「総門」に到着した。
「七・五・三」のシーズンでもあり、正装した家族が記念撮影をしており、季節感を味わう一方荘厳な気分に包まれる。仁王門(重文)を過ぎると右手に豪華絢爛三重塔(重文)が聳え立っている。お香が焚かれているので、各自煙を身体の弱いところに誘導したが、皆さんこれからは頭の方とばかり、念入りにやっていたのが、愉快であった。その後「大本堂」でお参りをした。堂内ではすでに御護摩祈祷が行われており、厳粛な雰囲気の中、皆さん思い思いの願いを込めてご本尊の不動明王にお祈りをした。
相変わらず雨は降りしきっているが、「成田山公園」に向かった。広さは16万5千平方メートル、東京ドーム球場の3.5倍もある。春になると訪れる人を魅了する梅の木々が連なり雨の中風格を感じる。さらに進むと一挙に紅葉の世界が我々を迎えてくれた。日本式庭園の水面に真っ赤なモミジが映え、クヌギ、ナラ、イチョウ、モミジなど見事な紅葉のグラデーションに息を吞んだ。池の遠くは靄がかかり水墨画のようでもある。「紅葉祭」の真っ只中にもかかわらず、雨のおかげで人も少なく紅葉を存分に楽しむことができた。
江戸時代には江戸から3泊4日で「成田山詣で」が庶民の楽しみの一つ、いわゆる「物見遊山」の代表だったそうだ。その際船橋が途中の宿場としてよく使われたとのこと。また歌舞伎役者初代市川団十郎は子宝に恵まれなかったが、成田山で祈祷したところ、お不動さまのご利益により男児を授かったことから自らの屋号を「成田屋」と称し、代々襲名披露や特別興業の際には御護摩祈祷を受けられる由、堂内には団十郎の歌舞伎衣装や絵などが飾られていた。
ところで平将門といえば、以前の散策会で湖北・我孫子エリアを散策、「将門神社」を訪ねたことを記憶されていると思うが、筆者は成田を目指す参詣者に反対の方向を案内するお地蔵さんがあり、将門を慕う地元民衆の心意気と反骨精神にびっくりしたことを思い出した。
境内を周遊した後、総門から駅に向かう参道の途中にあるうなぎ専門店「川豊」で本年締め括りの忘年会となった。料理の詳細については別途嶋沢さんの記述(ブログ) をご覧ください。この席で来年の第1回の散策会は榎本さんの幹事で4月中山法華経寺でお花見という発表がなされ、賑やかで愉快な会食もお開き、解散となった。
以後自由行動となったが、皆さん参道の途中の羊羹の老舗「米屋」でお土産を買い、13時15分発の成田線で柏に向かった。車中も空いていることもあり、和気藹々、よもやま話で盛り上がり、散策だけでなくお互いの心の交流の楽しさを実感して家路に着いた。
最後に下見をはじめいろいろとお世話を頂いた漆野さんに感謝申し上げたい。
川口 清(1963年 法学部卒)