今回は昨年5月に残念ながら生憎の天候で中止となった会の1年待っての実施となった。この時期、風薫る晴天が当たり前ではなく、梅雨のはしりも覚悟しなければならないが、今年は皐月の青空が迎えてくれた。参加されたのは、鈴木(一)、石橋、村岡、西田、中川、小島、山本(正)、秋田谷(敬称略)の皆さんと榎本の計9名。
集合時間はJR柏駅12時25分だが、参加者各位が早めに来られたので予定より10分早い比較的空いている常磐線快速に乗車。日暮里で山手線に乗り換え大塚駅で下車し、大塚駅前で久し振りの都電荒川線に乗り、母校に近いターミナル早稲田着が13時20分。予定より散策の進行が早くなりそう。5分程で本日最初の散策先肥後細川庭園に到着。
都心には小石川後楽園、六義園、旧古河庭園など話題になる庭園があるが、肥後細川庭園は一般にはそれ程知られていない。昨年の3月まで名称は新江戸川公園で都立公園であったが現在は文京区に移管されているとのこと。正門を入ると左手に松聲閣、正面の中門の向こうに緑に覆われた庭園が望まれる。
まず敷地内にある旧熊本藩細川家の学問所であった松聲閣へ。明治時代に建てられ大正時代に改修されたという木造2階建て、一時期は細川家の住まいとしていたが2年前にリニューアルオープンとのこと。各部屋には肥後熊本の花にちなんだ名前がつけられていて、申し込めば有料で集会に利用できるらしい。
玄関でスリッパに履き替え、狭い階段を上がって2階の山茶花名のある部屋へ。ここからは眼下に池と緑溢れる森で構成された庭園の景観が一望できるし、設置されたテレビのビデオでこの松聲閣や永青文庫など細川家に関係のある施設の紹介を見ることができる。一同テレビ前の椅子に寛ぎ解説映像に注目。階段を下りた1階は2つの集会室で共に使用中、玄関に近い花菖蒲・芍薬という名の集会室では句会を楽しむ人達が垣間見られた。松聲閣を出て中門から庭園に入る。池を背景に一同の笑顔を写真に収め、深い木々の緑に囲まれた池泉回遊式といわれる庭園を巡り、林の中に敷かれた永青文庫への石段を登る
日陰で皆さんの顔が見えない、フラッシュはどうしたか?後ろに見えるのが松聲閣円形の門をくぐり辿りついた永青文庫。森の中にひっそりと建つ美術館で、細川家に伝来する国宝や重要文化財を含む歴史資料や美術工芸品等の文化財を保管し、一般に公開している。この時期年4回の特別展の一つ春季展開催中で、テーマは江戸時代の詩歌・書に優れた托鉢僧良寛。生誕260年を記念して国内有数の良寛コレクター秘蔵の良寛が書いた和歌や漢詩の展示である。下見で当館を訪れた時、展示の内容が季刊「永青文庫」で判り、所蔵している文化財は見られないので永青文庫に代って敷地内にある別館サロンで時間を過ごすことにした。
このサロン、木々に囲まれうっかりすると見過ごされそうな無人の別館に見える。ドアを開いて中に入ると3人程先客がいたが静かな空間があり深山の応接室といった感じ。ここで入館料100円を払い我々9人それぞれ椅子に落ち着きセルフでコーヒーなど飲みながら話し合う。次の散策地鳩山会館へのスタート時間は14時30分。
門を出て左に行くと旧細川侯爵邸だった男子学生寮の和敬塾前を過ぎて目白通りに出る。右折して講談社野間記念館の先を左折すると道は音羽通りに向うが下りの急坂となり要注意。この坂道、上りだったら足腰に自信の無い人には大事である。音羽通りに出て右折し、50メートル程で通りに面した鳩山会館の文字のある正門から入る。今度は上りで「く」の字の坂道になり玄関までは意外に距離がある。この建物、通称「音羽御殿」と呼ばれ、緑に囲まれた音羽の丘にあり音羽通りからは見えない。
各自入館料を払い履物はそのままで御殿の各部屋を見学。この建物は元内閣総理大臣だった鳩山一郎によって大正13年に完成した私邸で、平成7年大改修したとのことであるが地上3階、地下1階の英国風洋館である。これらの情報は入館時に手にした案内のリーフレットによるが、タイトルが「戦後政治の原点がここにあります」とあり、多くの政治家がこの館に集まったらしい。館長は一郎の孫にあたるこれまた総理経験の鳩山友紀夫とのこと。この人、在任期間が1年足らずと短く存在感があまりないが、父親の威一郎も外務大臣だったし、まさに鳩山家は政治家世襲の典型と言えよう。そもそも鳩山家が音羽に居を構えたのは一郎の父鳩山和夫で、衆議院議長を務め早稲田大学校長だったとのこと、知らなかった。
まず1階にある3つの応接室、英国風サンルーム、2階の大広間、鳩山家歴代の愛用品や記念品のある特別展示室、記念室と回り、個々の部屋の解説は松聲閣同様応接室に設置されたビデオの前の椅子に休んで見る。
バラとステンドグラスでアピールする鳩山会館は、階段の踊り場部分の五重の塔と鳩の図柄のステンドグラス、庭園の周辺に咲くバラと共に見物客の注目を集めるであろうが、バラの方は見ごろは過ぎてしまった。そこで庭園では一同の写真を、ということになり、サンルームからそのまま芝生の庭に出られるので会館をバックに秋田谷さんに撮ってもらう。
これで本日の散策会はお開きとなるが、帰りは東京メトロ有楽町線護国寺駅からが予定されていたので、音羽通りまで坂道をくだり、駅まで約10分歩く。これから護国寺に立ち寄るグループと墓参りに行く巣鴨生まれの中川さんが分れ、地下鉄の降り口近くで解散となる。時間は15時40分。やはり予定より1時間近く早かった。
榎本 右(1960年 法学部卒)