駅シネマ同好会

駅シネマ同好会で『そして父になる』を観ました

2013年 11月 12日

駅シネマ会で「そして父になる」を観ました。
~昭和41年政経卒第5区 江後田正明

鑑賞日:平成25年11月8日(金)
参加者:鈴木会長、朝倉幹事、嶋沢さん、江後田
(映画のストーリー)
一流大学を卒業し大手建設会社に勤め、エリートコースを歩み人生は全て自分の能力と努力で勝ち取って来たと自負する野々宮(福山雅治)は6歳になった一人息子の慶多の優しすぎる性格をもどかしく思って居た。
そんな時に、野々宮の人生を大きく変えてしまうような「慶多は自分たちの血を分けた子では無い」という病院の子供取り違えが有ったと知らされる。
病院の仲介で、取り違えた野々宮の実子(琉晴)を育てて来た、群馬県で小さな電気屋を営む斉木(リリー・フランキー)家族と相互の交流を深め、色々なイベントを重ねる等の努力をしたが、中々  最善の解決策を見いだせないでいたが、最終的には子供たちを「交換」する事になった。
琉晴は自然豊かな地方都市で庶民的な家族愛の中で育てられ、野々宮の都心のマンション暮らしに戸惑い、且つ育ての親とは生き方が違う野々宮には中々馴染めない事から、野々宮にとって本当の父になる道が始まる。


(感想)
今まで特に映画を観に行く機会を自分から作る程映画好きとは言えない文化度の低い小生だが、「駅シネマ会」が朝倉さんの発案でスタートしてからスケジュールが許せば極力この会に参加する事にしており、数年前にこの会で「剣岳」を見てから映画の持つ魅力にハマったようだ。
今回の「そして父なる」も是枝監督の原作があること、また第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したことも知らずに参加したが、感受性乏しい小生でも、子供たちの事を考えると泣かされたし、色々と考えさせられる大変素晴らしい映画だ。
この映画の監督が意図したテーマは「父親とは何か」「家族とは何か」「血縁とは何か」等を観客に考えさせ更には「人生とは何か」をも我々観客に問うているようだ。
観た感想を一言で言えば、自分で築いて来た家族とその人生に「これで良かったのか?」と多くの反省を迫られる映画であったが、「人生とは家族や友人等のその人の周りの人々との人間的な温かいふれ合いによって支えられているので、血縁とかに関わらず人間的な関係を大切に生きて行く事」を再確認出来た点で見応えがあった。
また、この映画を通じ是枝監督はこのような個人と家族が織りなす社会への影響も問うて居るように小生は感じたので、飛躍がある事を承知で個人的な意見も添える事をお許し願いたい。
小生は、昭和40年の中頃から後半に掛けて二人の子供に恵まれたが、当時はまだ男社会の色彩が濃く残っており、男は外で仕事に専念し、妻が育児・教育・家事を分担するのが当たり前の世界であり、恥ずかしながら「父親とは何か」「家族とは何か」「血縁とは何か」を深く考える事は無かった。
この映画を観て初めて深くこれらの事を考えさせられたが、我々の世代の多くの父親は家庭内での父親としての務めを放棄してきた為、子供たちは母性が本来的に持つ「優しさ」の影響を時間的にも多く受け育った結果男子が優しくなる一方、女子が逞しくなり「女性優位の時代」を作り出した。その副産物として若い男女の未婚率を高める一因となり、世界でも稀にみる少子高齢化社会を招来したように思えてならない。我々世代では、「戸籍上の父親であるが父になれない」父親が多く、小生の周りの多くの仲間からも同じような意見を聞くことが多い。
また、「家族とは何か」を考えた時、日本の家族の考えが戦後大きく変わり「核家族」が当たり前となりアメリカナイズして来ている。 アメリカでの経験では人種は問題になる事があるが、血縁が大きな問題となるような例を聞いたことが無く、結婚した3組の内1組が離婚すると言われている国柄からすれば成る程と言えばその通りだと思う。離婚しても子供がいる場合は、実子を引き取らない場合は、定期的に元の親子関係を継続するケースが当たり前であり、あの自由の象徴であるアメリカでも「血縁」からは逃げる事が出来ないという事かも知れない。

(完)