駅シネマ同好会

駅シネマ同好会で『少年H』を観ました

2013年 08月 19日

駅シネマ同好会で『少年H』を観ました

(↓映画『少年H』のパンフレット)

~ 嶋沢伶衣子(1981年独文卒)~
*8月13日、駅シネマ同好会の「第28回映画鑑賞会」で『少年H』を観ました。
鈴木会長・朝倉世話人・塙・上谷・菅原・徳武ご夫妻・内木・小西・嶋沢(敬称略)の10名が参加しました。

♣ あらすじ(触りだけ)
*昭和10年代神戸。洋服仕立て屋を営む父・盛夫(水谷豊)、熱心なクリスチャンの母・敏子(伊藤蘭)、妹・好子(花田優里音)と暮らす肇(吉岡竜輝)は、國民学校の5年生だった。イニシャル「H」を入れた、母の手編みのセーターを着ていたためHと呼ばれた少年は、好奇心に満ちた幸せな日々を送っていた。ところが、親しいアメリカ人宣教師が帰国した頃からHたちの日常も変化して、不穏な空気に包まれていく…

♣ 感想
(これから『少年H』の感想を書きますが、ネタバレ無しの感想は難しいです。この映画を観る予定の方もいるでしょうから気をつけますが、多少のネタバレはお許し下さい。ちなみに私は原作未読です。)
*8月15日の「徹子の部屋」に『少年H』原作者の妹尾河童さんがゲスト出演して、撮影の様子を語りました:昭和初期の神戸の街並みを再現したオープンセットを2日間燃やし、カメラ5台駆使して焼夷弾の場面を撮ったそうです。M69焼夷弾は日本の木造家屋を焼き払うために開発された物で、対象物に突き刺さると信管が爆発してジェリー状の油が飛び散るので消火するのが難しい、との事でした。
*その焼夷弾爆撃のシーンを、8月13日に映画館の2列目で見ました。四方八方に落ちて炸裂する爆弾、めらめら燃え拡がる炎、火の海から逃げ惑う人々、横たわる黒焦げの遺体、そして見渡す限りの焼け野原 …かなり長い時間に感じられて、私は息が詰まるほど怖くなりました。戦争は本当に残酷で破壊的だと思いました。
*序盤、少年Hの一家が登場した時は、当時の普通の日本人像と違うように思いました。アメリカのスープ皿とスプーンで味噌汁を飲んだり、エンパイア・ステートビルの絵葉書を見て冗談を言ったりして、可笑しみも感じられました。
*中盤から感情移入していき、こういう家族だからこそ、閉鎖的で抑圧的な時代の問題点が浮き彫りになるのだと思いました: アメリカ人 /フランス人 /ユダヤ人等人種や国籍に拘らず交流できる柔軟なお父さん、キリスト教的人類愛を実践するお母さん、曲がった事が嫌いでいつも一言多い少年H、無邪気で天真爛漫な妹 ― この”名もなき家族”が、戦時統制下の不自由さや戦争の虚しさ等を、しっかり伝えてくれました。
*終盤では、名もなき家族のそれぞれが、未来に向かって再出発する覚悟を決めました。ネタバレになるので詳しく書きませんが、お父さんがHに語った言葉が、特に心に響きました:「戦争はいつか終わる、その時に恥ずかしい人間になっとったらあかんょ。」ラストシーンでHが焼け野原の看板に描いた大きな「不死鳥」も、印象的かつ象徴的でした。
*私は軍事的な事や政治的な事はよく分かりませんが、この作品を通して、命の大切さや平和の尊さを改めて感じました。…戦争で亡くなられた方々や苦労して生き延びた方々、皆様お一人お一人のお陰で今の私たちがあるのだと思いました。こうして生きていられる事の幸せを噛みしめて、未来へ平和を繋げていきたいです。

(以上、映画『少年H』の感想です。)
♣ 少し時系列を遡りますが、私は4月23日の駅シネマ同好会に”初参加”させて頂き、『リンカーン』を観ました。それから 映画館と同じモール内のお蕎麦屋さんに行って、皆で感想を分かち合いました。映画「リンカーン」繋がりで、私は、「リンカーンとケネディの共通点」というメモを配りました。(←両大統領の共通点については、昔母校で英語学を受講した際に余談として聞きました、授業本編よりもよく覚えています。)

両大統領の共通点…偶然の一致なのかこじつけなのか 何かの因果関係があるのかないのか、私には分かりませんが、両大統領を巡る都市伝説は今でも流布していますよね。

♧♧♧ リンカーン大統領とケネディ大統領の共通点(100年の呪い?)♧♧♧

1.リンカーンは1846年に下院議会に初当選し、ケネディは、100年後の1946年に下院議会に初当選した。
2.リンカーンは1856年に副大統領候補となり、ケネディは、100年後の1956年に副大統領候補となった。
3.リンカーンは1861年に大統領に就任し、ケネディは、100年後の1961年に大統領に就任した。
4.二人とも公民権/黒人擁護政策を重視した。
5.二人とも、国が「南北」に分かれる戦争にかかわった。(リンカーンは南北戦争、ケネディはベトナム戦争)
6.リンカーン、ケネディともに、名前に因んだ「空母」が作られた。
7.二人とも 30歳を過ぎてから、フランス語が話せる24歳前後の女性と結婚した。
8.リンカーン夫人、ケネディ夫人ともに、結婚の40年後に亡くなった。
9.両大統領とも、息子をホワイトハウス滞在時に亡くした。
10.両大統領とも、祝日前の金曜日に撃たれた。
11.両大統領とも、妻の目の前で、頭を撃たれた。
12.リンカーンの秘書の名前はケネディで、ケネディの秘書の名前はリンカーンだった。
13.リンカーンの秘書ケネディは、暗殺前に、大統領に劇場に行かないよう忠告した。ケネディの秘書リンカーンも、暗殺前に、大統領にダラスに行かないよう忠告した。
14.南部出身者が二人を殺した。
15.リンカーンを暗殺したジョン・ウィルキーズ・ブースは1839年に生まれ、ケネディを暗殺した(とされる)リー・ハービー・オスワ―ドは、100年後の1939年に生まれた。
16.両方の暗殺者の姓名の綴りは、どちらも15文字。リンカーン大統領とケネディ大統領の名前の綴りは、どちらも7文字。
17.リンカーンはケネディ・フォードという劇場で撃たれ、ケネディはフォード車リンカーンという車で撃たれた。
18.リンカーン暗殺者ブースは「劇場」から逃げ、「倉庫」で捕まった。ケネディ暗殺者オスワードは「倉庫」から逃げ、「劇場」で捕まった。
19.両方の暗殺者は、裁判の前の護送中に第三者によって暗殺された。
20.リンカーンの副大統領はジョンソン、ケネディの副大統領もジョンソンという名前。
21.両大統領の後任になった両ジョンソン大統領は、二人とも南部出身。
22.両ジョンソン大統領の姓名の綴りは、どちらも13文字。
23.二人の後任の両ジョンソン大統領は、どちらもフリーメイソンの会員。
24.リンカーンの後任のアンドリュー・ジョンソンは1808年生まれで、ケネディの後任のリンドン・ジョンソンは、100年後の1908年生まれ。
25.リンカーンの後任のアンドリュー・ジョンソンは、リンカーン暗殺の10年後に死亡し、ケネディの後任のリンドン・ジョンソンは、ケネディ暗殺の10年後に死亡した。
26.リンカーンは、撃たれる一週間前にメリーランド州の「モンロー」という町にいて、ケネディは撃たれる一週間前にマリリン・モンローといた。

♣ ↑以上、「駅シネマ同好会」に私が初参加した際にお配りした、両大統領の共通点のメモです。

♣ 同好会世話人の朝倉様柴田様、多くの会員の方々、新規入会した私を温かく迎えて下さり、ありがとうございました。今後とも、皆さまと映画を観て感想や意見を語り合いたいので、どうぞよろしくお願いします。 m(__)m

(完)