散策会

(第80回散策会)第8回世界盆栽大会in さいたま

2019年4月28日

第80回 散策会  メイン会場 1:さいたまスーパーアリーナ

午後1時 さいたま新都心駅集合、12名

10年前 第28回散策会での盆栽村以来2度目の大宮である。改札口を出た時から、そこはもうBONSAI大会一色の熱気、人の波、海外愛好家が多い。駅前デッキには葛飾北斎作神奈川沖浪裏“を模した巨大なインスタレイション。波頭は無数の白い花々、大波に翻弄される船べりにしがみつく人々はカブ、小松菜、直立した舟にはなぜか深谷ネギ、大胆にしてユーモラス。地産野菜の晴れ舞台となっている。入場券購入も1時間待ちとあって、先ずは各自長蛇の列の短か目レストランへ。世話人榎本さんはセブンイレブンのおにぎりとは。

 

 山本・松井・石橋・奥野・飯田(奥様)・飯田・西田・秋田谷・菅原・中川・榎本(敬称略):カメラ(漆野)

 

2時  12名全員入場できたところで解散、散策開始ならぬ戦闘開始?入り口正面人山で何も見えない、辛うじて「飛龍」の名札が目に入った。

盆栽の歴史:  通路両側の写真と解説を見ながら進む。1300年前中国の壁画に登場に始まり、9,10世紀日本へ渡来。17世紀にはすでに三代将軍家光遺愛の松が残る。江戸後期庶民へと広がり、三代目歌川豊国の浮世絵には艶やかな女たちと盆栽が美を競う。

明治時代:  親愛なる大隈重信公のコレクションの写真、すごい!知らなかった!今回出品盆栽は「黒松の直幹」。これで稲門会とBONSAI見事にリンクしました。

      (大隈重信コレクション)

時代やや下りポートレイトは岩崎弥之助。出品盆栽は「いわしで」

その下ポートレイトは石油王、中野忠太郎。出品盆栽「日暮らし」

(現存する名品中の名品、我が祖父の遺作の一つである。サブ会場の大宮盆栽美術館に展示、今回6年振りの公開、と新聞で知った。上記中野、岩崎らパトロンをそして商品の3000余の盆栽を一夜にして失った。あの敗戦から5年後祖父は昇天。陛下の主治医村山先生に脈を執られつつ。誠に稀な美男でもあった。)

 

「特別展 1」皇居の盆栽:  樹齢500年、600年など素晴しい献上名品も最高の管理の下今日を迎えている。しかし、人垣に阻まれ残念、菊のご紋章の琉球焼きの鉢という声が聞こえたのみ。

 

「特別展 2」  :  人波におされ 大きな蝦夷松の寄植の前に出られた。NHKや日テレのカメラマンたちも隅っこで立ち往生。そう、来客ファースト!

同展〆の一席 黒松 「鶴寿」に吸い寄せられた。懐かしい。

              

豪快な立ち上がり、風雪に耐えた木肌、荒々しくも、なお、この静謐。名札「山木 靖雄」、もしや広島の山木 勝氏の?ご子息だった。東西の栽界にあって、共に堂々たる体躯、錦松、黒松等の豪快な樹種を好んだお父上と私の父は盟友でもあった。広島市己斐町で被爆、夫人の背には無数のガラス片が残る。とは、父に連れられ山木園に遊んだ若き日の姉たちの土産話にしてはあまりに痛ましいエピソード。心から離れることはなかった。しかし、感傷に浸るまもなく 立て札発見、「原爆に耐えた黒松」、更に、盆栽に寄り添うように、カラフルな絵本、“Tree for Peace ”も展示されている。黒松の種はアメリカに贈られたとのこと。実生が根を張り、青々と茂るblack pine の葉の上に二度と再びblack rain の降り注ぐことなかれと祈らずにはいられない。出品者は千葉大園芸学部卒、広島県議会議員でもあられる。

 

300席の盆栽水石展はスルーッと見て、ビデオ「世界のBONSAI紀行」8分間 の映像を楽しむ。ヨーロッパ、南北アメリカ、と世界中の盆栽のレベルの高さに感動する。ラテン諸国の耀さ、東南アジアのマングローブ,ブーゲンビリアなど、ニュージーランドやオーストラリアはどう見ても日本盆栽。意外というか、当然か、盆栽発祥の地中国のそれは明らかに日本盆栽とは異なる表情。。。。全くの主観かもしれないが。

以下、2日目は 中川氏の個人見学                ↓

付記: 第2日目 in さいたま

昨日来られなかったサブ会場の盆栽美術館で「日暮らし」をこの眼に焼き付けておくこと、それと前回散策の折、蔓青園加藤三郎氏から紹介された「神の木」その後を知りたかったから。

あっ、「神の木」が無いっ!此処まで来ないと気付かないとは!呆れて物が言えない。でも散策記を書こう。そこいら中に貼られたポスター、パンフ、握り締めてた入場券、すべてにプリントされている今大会のシンボルBONSAIでした! 彼の時の荒ぶる神は加藤氏のワザの下、華麗なる進化を遂げ、銘「飛龍」、樹齢もやや若返り、1000年。

 
更にもうひとつ、祖父の愛弟子の孫、阿部大樹さんという若き盆栽作家に会うため。大宮ではなく福島在住のため、福島テレビが追っていた。師匠の教え、「売ろうと思って作るな」は三代目に至る現在も家訓として守られている。と初対面の私たちに語る大樹さんの涼やかな瞳にあかるい未来を見た。世界のBONSAI人気に比べ、好況とは思われない日本の業界にあって、ベルギーなどEU諸国においても阿部さんは活躍されている。

 

最後に、世話人の榎本さんに深くお礼申し上げます。度重なる下見に加え、膝痛の私を南柏出発から終始やさしくエスコートして下さいました。流石はハーバードの修士、この長ったらしい個人情報満載の散策記をエー、長けりゃ長いほどいいんです。と。励まして下さいました。私、鎮痛剤Sを服用して二年ほどになりました。薬剤師に副作用を尋ねたところ、稀に錯乱状態、とのこと。種々不具合、薬害ゆえ・・・・・

中川紀子(1963年 教育学部卒)