○実施日:2014年5月10日
○参加者: 石橋・近藤・河合・牛島・青山・及び世話人の山本の6人
今回は全員東武野田線の沿線駅に居住していることと、参加者全員が最寄駅から乗車することを希望したことから、9時52分柏駅発の電車に最寄駅からそれぞれ乗車。参加者全員の乗車を運河駅で確認。春日部、南栗橋で乗り換え板倉東洋大前駅に11時19分に到着。板倉東洋大前駅の駅売店が閉ざされており駅を出てから商店が一軒もない。住宅地のゆるやかな坂道を抜け、わたらせ自然館の先を左折、畑の中の整備された道路を歩き10分程で渡良瀬遊水地の「思い出橋」入口に到着。
「思い出橋」入口は、車が入れないように大きな方の門扉を閉ざし、小門に低い鉄柵を設置して跨いで遊水地内に入るように設置されていた。
入口から左折するとすぐに町の境界を表す標識があり、やや進むと展望台が設置されている。展望台からは葦原と谷中湖の他には北水門と湖の真ん中に掛けられた橋が見える葦原の散策路に入る。葦原は下見時には一面覆い尽くしていた枯野が緑一色の葦原と変わり、葦の高さも腰程度に伸びていて葦原が見渡せる状態。天気は快晴。風は心地よい涼しさを運んでおり、参加者はこの時期以外は葦が背丈以上に伸びて見通しも悪くなり散策には不適との意見で一致。
葦原の中は、草を刈り込み整備された細道があり、湿地部分には木道を設けられていた。
葦原の中はきれいな水があちこちに流れ、ある場所では、鴨(多分)が急に飛び立つ。また別の個所では30cm以上もあろうかと思われる鮒が4~5片に切られ捨てられているのを見る。鮒は多分密魚したあと、処分に困り捨てたのであろうと推測。12時を過ぎ、葦原の散策路を出て多目的ゾーンの東屋風の屋根の下、各自持参の弁当を食べる。食事中に聞こえるのは鳥の声のみ(残念ながら鶯の鳴き声以外判別がつかず)。昼食後谷中村史跡保存地区をめざし出発。途中で湖水沿いの道をそれバードウオッチングの塔に寄り道。塔に5,6人の人がいるも直ぐにいなくなる。
塔の入り口にハチに注意との注意書きがあり恐る恐るのぼる。塔に遊水地全体の俯瞰図、遊水地の歴史等の説明板がある。また屋上には第一調整池のあると思われる方向を見る望遠鏡が備えられている。残念ながら鳥の姿はなく景色も葦原と水路のみ。
塔から、外周道路に出、駐車場の横を通る。駐車場の中に土日のみ開店の張りの売店をがあり2,3人の客を見かける。
谷中村史跡保存地区に出る。保存地区は非常に整備されて、子供の遊び場と見紛うほどであった。
保存地区の端に谷中村が廃村となった謂われと村の居住屋敷跡を表示した看板があり、足尾銅山による公害を契機とした、強制的な廃村措置についての概要を垣間見ることが出来る。
また、村役場跡や居住者の住居跡について石碑用のものが置かれているも、建物や往時の生活の様子を推測する物は一切なかった。
保存地区から谷中湖の北ブロックと谷中ブロックを分ける中道を通り北橋に向かう。
強風が吹き始め、湖の波が波立つ。風をうけたウインドサーフインのヨットが猛烈なスピードで湖面を行き交い始める。散策会一行は帽子が飛ばされないよう帽子を手に持ったり、抑えたりしながら進む。中の島に近ずくと湖面上100メートルおきにカヌー競技用のブイが並べられていたがカヌーを見かけることは出来なかった。中の島から休息なしで西橋に入りそのまま「下宮橋」出口に向かう。ここから柳生駅まで約10分ほど進み14時33分の南栗橋行きに乗車。
山本 正紀(1964年 第一商学卒)