散策会

第19回「将門の里」散策記

最高温度が18°Cと、5月の連体明けにしては少し肌寒い曇天の中、JR成田線の湖北駅を2時少し前に出発し、初めての目的地である日秀 (ひびり)観音寺に向かった。途中、あちこちの農家の門前には今朝採れたと思われる新鮮な野菜とその脇に籠が置いてあり、我孫子駅か ら10分足らずのところであるにもかかわらず、かなりの田舎に来た趣が感じられた。曹洞宗日秀観音寺は管理人がおり、きれいに整っているお寺である。今回訪れた神社仏閣の中では唯一ここだけは管理人が常駐していた。他は無人であったが、それはそれなりの趣があるところであった。観音堂の中には太鼓と鉦が見えるだけでなにか物足りない感がした。

日秀観音寺を後に15分ほど国道 356号に沿って歩くと左側に葺不合 (ふ きあえず)神社の入り口がある。階段を26段下がったところに大きな銀杏の木が2本と他の樹木並びに竹林が境内をなしていた。次に 34段上ると本堂があり、更に28段上るとご本尊があってその中はまるで神輿を思わせるような手の込んだ造りであった。その先は一面の畑である。葺不合神社には菊 の紋があり、由緒のありそうな神社であるが目立たずひっそりとしており、静かな散策にはうってつけの場所である。

 

葺不合神社を出て、日秀観音寺まで戻り、国道と分かれて左へ行き、成田線を渡ってしばらくすると将門の井戸がある。直径は5~6m位 、深さが2m位で、蓋と朽ち木で塞がっていた。今は単なる窪地にしか見えないが、往時は相当意味のあったところであろ う。一群の騎馬部隊が我が物顔に陣取ったところか、はたまた、疲れた旅人が本陰で涼み、のどの渇きを潤していたのか、様々な姿が目に浮かんでくる場所である。

将門神社の鳥居には、平親王将門大明神と書かれており、それだけで将門が親王と称した威信が感じられ る風情がある。鳥居 の中は巨大な槙 の木が 2本目立つだけのこぢんまりとした境内で、奥には遺臣らが霊を祀ったとされる祠があり右側にはポストのような石像の名刺受けがあった。ここも訪れる人が少なく散策コースにはもってこいの場所である。

湖北高校の手前を左に降りると一面の畑で、その先はこんもりとした林となっている。小高くなっているその林を上る道がかまくら道である。ここは鬱蒼 としてお り1人で入 ると怖くなるようなところである。 ここを上りきるとイヌシデの広場と書かれた中里市民の森となっていた。イヌシデはカバノキ科 クマシデ属の落葉高本で同じクマシデ属にはクマシデ、アカシデ、イ ワシデ などがあるが、なぜこの広場にこの本が選ばれたのかは後日調査してみたいところである。将門の井戸からイヌシデの広場に至る道は山藤やつつじが今を盛りと咲き誇り、筍があちこちに芽を出し、都会の騒々しさと時を忘れさせてくれるのんびりとしたコースである。

ここからは手賀沼殉難教育者之碑を見つつ湖北駅へ戻る一般的な道である。今回の散策時間は約2時間であり、健脚にとっては物足りないであったろうが、日頃運動不足の者にとっては丁度よい距離であった。柏駅まで戻って恒例の打ち上げを行い、満足した面持ちで家路についたのは6時すぎとなっていた。今回も企画していただいた世話役の漆野様はじめ幹事の方々に感謝 申 し上げる次第である。

秋田谷 勇 (1966年 理工学部卒)