散策会

(第44回)佐原水生植物園と伝統的建物群保存地区散策記(第44回)

 

実施日時 2009年6月5日(金) 午前9時30分集合 17時解散

当日の佐原地区は正午頃から小雨、15時頃から雨との天気予報にも関わらず、参加予定の8名全員は9時31分発の成田行きに乗車し、成田で銚子行きに乗り換え11時10分に佐原駅に到着。

駅前のシャトルバス乗り場から観光バス仕様のバスに乗り込む。バスには我々と高齢のご婦人一人の都合9名のみ。ガイドさん曰く「まだ花菖蒲は3分先咲きで少し早かったですよ。10日ごろが見ごろです」との話に落胆。

約25分で水生植物園に到着。「十二橋めぐり」はいかがですかとの女船頭さんの声を聞きながら園内へ。ガイドさんの3分咲きとの話から、花菖蒲はちらほら咲いているのかと思いきや、パンフレットには350種150万株の花菖蒲が植えてあると記載されていたが、 約6ヘクタールの園内は、花菖蒲が田圃状のところに植えられ、素人目には7分咲きに近いのかと思うほど咲いていた。花はすべて今日咲きましたという感じで元気よくすっきりとしていた。また、花は白、紫、青、等々濃いものから淡い色まで、株ことに異なっておりみごた見応えがあった。また、群落ごとに、伊勢系・肥後系・江戸系などと立札に表示されていたが、残念ながらその差異について判別することができなかった。また、ところどころにハスが咲き始めており夏が近いことを予感させていた。幸いにも天気予報と異なり14時ごろまで雨に遭わず見物を完了。

14時発のシャトルバスにのり、佐原が利根川水運の中継基地として繁栄した面影をのこす「佐原の伝統的建物群保存地区」に向かい、往時の名残をとどめる堅牢なレンガ造りの旧三菱銀行佐原支店であった建物の前で下車、散策に入る。

歩き始めてすぐに、いかにも保存地区といった建物群が左右に軒を並べ、胡麻油やすずめ焼き(小鮒にたれをつけてやいたもの)を売っている店をみながら1~2分で「植田荒物店」の店頭へ。荒物店には、竹製の玩具や笊、茶匙などの他近郊のホームセンターでは見られないような品々が並べられており店内でのショッピングや店の奥の蔵を見学。15分ほどで店を出、すぐ左折し、小野川にそって2分程度歩き「伊能忠敬の旧宅(国指定史跡)に行く。

「伊能忠敬の旧宅」は伊能忠敬が18歳養子となってから50歳まで醸造業や米穀薪炭業を商っていた店舗と住居がそのまま保存されていた。

旧宅の前にある昔の水道用の樋を渡した橋(じゃーじゃ橋(樋橋)を渡り目の前にある「伊能忠敬記念館」に行く

伊能記念館の年譜によれば伊能忠敬は50歳で隠居後、幕府の天文方の高橋至時に学び、55歳から71歳まで10次にわたり測量を実施し、彼が73歳で没した2年後(1821年)「大日本沿海輿地全図」が完成したとされ、その活動には心底感服、館内には測量に使用した器具として、「羅針盤状のもの(わんからしん)」「半円方位盤」「象限儀(大と小)」、「 (星の位置を確認するための) 望遠鏡のようなもの」「距離を測る金属製の折尺」等が展示されていましたが、これらを使用することでほぼ日本地図を完成させたということに当時の和算や天文学の水準の高さが感じられました。

さらに測量ごとに作った地図が掲示されていましたが、製作過程の「下図」や「大図」「小図」などが展示されていましたが、その緻密さには感動し、更に比較資料として、伊能図の海岸線を現在の日本地図と比べたものが転じされていましたが、海岸線はほぼ同じであり、位置が東北から北海道にかけてやや右にずれているだけの見事なもので測量技術に感銘をした。

記念館を出たところで予測されていた雨が降り出す。記念館から他の保存建築物を見学する予定であったが、帰りの電車の時刻が近付いていたため、小野川沿いに点在する「正文堂」「並木仲之助商店」「木下旅館」「上州屋酒店」等々の建物を横目で見ながら佐原駅に。15時37分発成田行きに乗車し成田、安孫子経由で17時10分頃柏駅に帰着し解散。

山本正紀 (1964年 商卒)