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相馬市復興支援ボランティア・バスツアー報告

水上春男(1969年理工卒)
牛島康行(1973年法学卒)

日時: 平成24年8月4日~5日
参加者:流山稲門会2名、市原稲門会3名、習志野稲門会17名(+配偶者3名)、バンドマン5名、フラダンス1名 合計31名

習志野稲門会が企画しました相馬市復興支援ボランティア・バスツアーに流山稲門会から牛島、水上の2名が参加しました。その報告をいたします。

・ツアー行程:全行程バスによる移動
1日目:松戸⇒三郷⇒船引三春(昼食)⇒川俣⇒相馬市
相馬市被災地見学、市民七夕祭り参加、相馬稲門会との懇親会、宿泊
2日目:相馬稲門会会員経営のスーパー・和菓子店で買い物⇒昼食⇒南相馬市小高地区(被災地、ゴー
ス トタウン)見学⇒飯舘村(ゴーストタウン)⇒川俣⇒船引三春⇒三郷⇒松戸

(1)市民七夕祭り参加:
相馬市復興支援目的で、被災者を楽しませる行事(相馬市七夕祭り)に習志野稲門会として参加。フラダンスが盛んな地域であり、生バンド演奏を提供することになり、ハワイアンバンド(7名。内リーダー天日、仲村氏が習志野稲門会所属)、フラダンスチーム(2名。内1名が稲門会)を同行。
ハワイアンバンドの演奏は、1部・2部を通じて1時間半。いきなりの本番であったが好評。
他に中学生による「よさこい踊り」、太極拳のデモなど。


(習志野稲門会の会長とバンド)


(相馬市フラチーム)


(元気な地元中学生たち)


(元気な地元中学生たち)
(2)相馬稲門会との懇親会:
祭り会場の近くの居酒屋にて開催。相馬稲門会からは10名程参加。
相馬稲門会会員は、商店経営者、自営業者が主。他に教員、公務員。因みに中島会長はスーパー、大和田幹事長は焼肉屋の経営者。
災害時には、巨大地震自体の被害は少なく、むしろ年老いた両親を心配し、海岸地区に出掛けた人や津波の状況を見に出掛けた人の多くが被害にあったとのこと。巨大津波を予想していれば人的被害は少なかった筈との意見。
翌日訪問した和菓子店「船橋屋」の主人(羽根田氏)も会員であり、相馬中村藩家臣の家柄で、菓子屋は明治21年創業とのことで、相馬中村藩や郷土史について詳しい。相馬盆歌を含め、常磐線開設時の話など千葉との関連知識も豊富で話も上手。

(3)被災地見学:
・相馬市磯部地区、松川浦地区
国道6号線が堤防の機能を果たしたが、海岸から約3kmまで、住宅地、田畑が流された。
漁港(松川浦地区)では、破損建物が残され、地盤沈下などインフラの問題。漁業再開が 「たことつぶ貝」のみで、今も復興の目途が立たず。宿泊先の岬荘の主人が津波の状況を記録。

 

 


(宿泊先隣接の松川浦港建物)

海岸近く(磯部地区)の住宅地、田畑が流されたところは草茫々。車・船の残骸や「がれ き」は撤去済。「がれき」処理が少しずつ進んでいるが、放射能の懸念も。
火力発電所など復興工事終了後の経済活動低下を心配。
相馬市の人口は3万8千人から3万6千人に低下(住民登録上)
・南相馬市小高地区
地震による被害も大きく、家屋損壊も目立つ。津波被害に加えて放射能汚染による住民避難(最近解除)の影響で、「がれき」処理が全く進まず。流された車・船が草むらの中に未だ残されたまま。流された住宅・田畑の跡は一面の草茫々の状態。人気もなく、パトロールカーが目に付いた。常磐線の線路は赤錆。正にゴーストタウン。


(船と車の残骸)


(コンテナと車の残骸と草だらけの農地)


(住人も通行車もなし)

小高い避難場所に避難した人全員が死亡したとか、カラオケ帰りの多数の人達の亡霊の噂等あり。


(海岸に近い小高い山、犠牲者を出した避難拠点)

仮設避難住宅と一般生活区域が混在しており、避難者にとって複雑な思いありとのこと。
・飯舘村(南相馬市の西)
阿武隈山系の高原地帯で、牧畜が盛んな村。地震・津波の被害はなかったが、放射能汚染により住民が避難し、田畑は草茫々。人影なく、窓にはカーテンでゴーストタウン状況。
隣接地域が通常なのでその差が目立つ。道が狭く、バスの窓からの見学のみ。

(4)習志野稲門会ボランティア部会活動状況
・東日本地震からの復興に向けたボランティア活動として、習志野市のNPOによる南相馬市での花を植える活動に参加したのが今回のツアー企画の切っ掛け。その後の話し合いで独自に相馬市復興支援行事に参加。相馬市稲門会との事前打ち合わせ、ツアーの下見などかなりの準備作業を実施。
・定例活動として、大正琴持参でカラオケグループと老人介護施設を訪問し、歌唱指導し
ているとのこと。

以上