本年2023年は作家「池波正太郎」の生誕100周年であります、そこで散策会としてもその代表的な作品、実在の旗本で火付盗賊改方である長谷川平蔵(盗賊からは問答無用の取り締まりから鬼平と恐れられた)を描いた「鬼平犯科帳」の世界を10月27日に4名で散策してみました。
両国駅を降りてすぐ両国公園に勝海舟生誕の地があります、長谷川平蔵(1745~1795)と勝海舟(1823~1899)勝海舟は有名な人物ですが海舟は長谷川平蔵の100年後に活躍した人物ですので時代的に江戸市中ですれ違う事はありませんでした。では長谷川平蔵(鬼平)の世界、散策をスタート
両国公園から15分の地に煙草屋(壺屋)の高札がありました、大滝の五郎蔵が鬼平に捕縛されたあと密偵となり表向きは煙草屋(壺屋)を生業としていた場所です。小説の話と言えばそれまでですが、マンションの玄関に高札があるだけで少しガッカリです。
煙草屋(壺屋)の直ぐ近くに軍鶏鍋「五鉄」の高札があります、小名木川のたもとにあり小説にでてくる雰囲気(平蔵が五鉄の障子をそっと開け川岸の船を確認する…….)が感じられます。「五鉄」のモデルになった料理屋は「かど家」とも「玉ひで」とも言われています、池波正太郎は食通で有名ですから両方の店に通った事でしょう、この高札のすぐ近くに「かど家」がありましたが最近廃業してしまいました。ですから五鉄の雰囲気を味わいたいなら今は人形町「玉ひで」に行くしかありません、「玉ひで」の軍鶏すき焼きも美味しいですが個人的には小説に出てくる味に近い「かど家」に一度に行って見たかった。
小林一茶(1763~1828)の居宅の碑が五鉄の前の通りを挟んで反対側にありました、鬼平犯科帳と小林一茶では雰囲気がアンマッチなので池波もカットしたのでしょうか。
かど屋の跡地が見つからず15分ほど歩きました所で長谷川平蔵居宅跡地を発見、長谷川平蔵は27歳までこの地で暮らしその後父親と共に京都に転居しました。それから300年後、江戸の下町も東京都墨田区と名を改め世界のTOKYOとなりましたので江戸時代の雰囲気が全く想像できません、ただ高札があるのみでした。
さらに散策を続けると横十間川親水公園に着きました、こちらの方は川がありその昔鬼平が編み笠をかぶり船頭の竿にまかせ「銀平道場」や「法恩寺」へ向かう姿が想像されます。この写真の位置から10分ほど川沿いに北へ歩くと平蔵が19歳の時に入門した「銀平道場」の高札があるそうですが、今回はここで散策を終了とします。スカイツリーの姿に時代の流れを感じる散策でした。
番外編で錦糸町からの帰りがけ秋田谷さんの母校「両国高校」に立ち寄りました、秋田谷さんの学生時代が一瞬にして戻ってきたようです。
笠井敏晴 (散策会世話役 1972年教育学部卒)