わが街流山

「わが街流山」No.9 神仏習合の名刹『成願寺』

神様と仏様が同居する神仏習合の寺院「成顕寺」

流山市駒木224に成顕寺(じょうけんじ)があります。現在の江戸川大学の裏手に
位置します。

明治元(1868)年3月に、明治新政府より発令された神仏分離令により廃仏毀釈が行われ、
寺院・仏像
等仏事に関する物件が焼却廃棄されました。仏教より神道が上位であるという
明治政府の
政策でした。しかし乍ら仏教関係者により猛反発が起こり、完全には遂行
されませんでした

今日に至ってまで神道と仏道が同居する神仏習合の寺院は日本国内において幾つか
散見されます。日光東照宮には五重塔もありますし、浅草の浅草寺(せんそうじ)の
には浅草神社(あさくさじんじゃ)もあります。我が流山にも赤城神社の脇に
真言宗
豊山派の光明院があり、且ては赤城神社の別当寺でした。

流山において現在でも神と仏が一堂に祀られている寺院が成顕寺です。
鬱蒼とした森に囲まれた名刹です。毎年12月の第一土曜日に行われる人形供養でも
有名なお寺です。

「成顕寺縁起」

平安時代初期の大同年間(806~810年)、下総の戸張郷に大きな沼がありました。
ここに龍神が潜伏して、毎年収穫の頃に大風を起こしたり大雨を降らせたりして農作物に
被害をもたらすばかりでなく住民をも大変苦しめました。この頃真言宗開山の弘法大師の
高弟桂傳阿闍梨(けいでんあじゃり)がこの地に弘通され、密教の秘術を以て龍神を降伏
させました。そこで住民は多いに喜び、一堂を建て金胎山道成寺と名付け龍神を風早明神
と称してお祭りすることになりました。
その後、源頼朝が小金原産の名馬を神前に引き、境内の松に鞍をかけて戦勝祈願をした
ので鞍掛大竜王と呼ばれるようになりました。又、このあたりの地名も駒木と言われる
ようになりました。
その後、建治年間(1275~1278年)、日蓮上人の高弟日郎上人がこの地方で布教
していた時、真言宗の道成寺の僧と法論を交わし打ち負かしたので、真言宗から日蓮宗に
改宗されました。この時、鞍掛大竜王を妙法の本尊と認め、南無諏訪大明神と改め、同時に
この地の里正(平民の最高位)であった高市重次が、日蓮宗に帰依し堂宇を改修して
通法山成顕寺と改名し、釈迦牟尼仏をご本尊とし神と仏を同時に崇拝する神仏習合の寺院が
誕生しました。

現在本堂に向かって右側の参道は寺院へ左側の参道は神社へと続きますが到達場所は同一
です。
(備考)写真①正面本堂 写真②右側寺院向参道入口
写真③左側神社向参道入口 写真④文化財説明板
(現在本堂正面に飾られている鰐口はレプリカで本物は竜王堂の中に安置されています。
一般的には公開されておりません)

     
 ① 本殿 (本堂)                 ②寺院向参道入口

  
 ③ 神社向参道入口               ④文化財説明板
(成顕寺地図)

*なお成顕寺に関する一般的な資料は流山市のHPから閲覧出来ます。

高橋 則行(4区 1969年教育卒)