わが街流山

「わが街流山」No.12 明治時代の物流を支えた利根運河

江戸時代、利根川沿いの物資(醤油や米)は関宿まで船で運びそこからは江戸川経由で行徳から日本橋まで船で物資を運んでいました、今の宅急便のように小荷物で急ぐ場合は印西付近で荷を下ろし白井経由で流山まで馬で運び又江戸川の船旅となるショートカットコースもありました。

時代は変わり明治時代になると輸送手段強化の為、オランダ人土木技師ムルデルの設計により明治23年に利根川と流山市の北端にある江戸川を結ぶ日本で最初の全長8.5㎞の西洋式運河が完成し「利根運河」と呼ばれました。利根運河は重要な輸送ルート(全盛期の明治20年代には年3000隻以上、大正15年で1000隻が通行)として賑わっていましたが、鉄道の発達で昭和16年には100隻以下となり同年にその役目を終えました。

しかし利根運河はその役目を終えたとは言え、いまでも上の写真(2022年4月 運河水辺公園付近で撮影)のように往時の姿を残しています。

特に運河水辺公園付近の利根運河桜並木は見事ですし、又利根運河を設計したムルデルの記念碑もそしてビリケンさん(我が街流山 No.5をご覧ください)もおりますので是非会いに来て下さい。お昼は新川の鰻(我が街流山 No.13で紹介)を召し上がり下さい。

笠井敏晴 (1972年教育卒 名都借在住)